【傘寿特別対談】辛口サッカー解説者 セルジオ越後×辛口ジャーナリスト・評論家 佐高信
“割り勘”が脱会社依存のカギ
佐高 人のつながりが消えると、地域や教育もなくなるんですね。私は酒田で育ちましたが、小さい頃、ガキ大将に海に突き落とされたことがある。必死に泳いで上がって(笑)。今なら完全にアウトだけど、そういう共同体には互いに“面倒を見る”という文化もあります。
セルジオ 僕はずる賢いから、戦争が終わる頃に生まれてきた(笑)。兄や姉は戦時中の厳しい生活も経験したそうです。でも家族はひとつの共同体だから、もちろん子どもは見捨てない。ところが、日本のプロスポーツは景気が悪くなるとチームが消える。企業チームは、余裕があるときの交際費みたいなもので、景気が悪くなったら「はい、やめる」。おかしくないですか?
佐高 会社依存をやめないといけませんね。
セルジオ その通り。僕は“割り勘”というのは、美しい日本の文化だと思うんです。会社に場を提供されるのではなく、みんなで割り勘で飲みに行く。
佐高 セルジオさんは、H.C.栃木日光アイスバックス(アイスホッケー)のシニアディレクターとしてクラブ運営にも関わっていますが、大口スポンサーに頼る形をやめましたね。
セルジオ 大口スポンサーの一本足は折れる。地域の200社ほどから少しずつ出してもらう形に変えて、チームは安定しました。払った人は参加したくなる。「我がチーム」になる。大口がドンと出すと、みんな他人事になる。
佐高 “会社が社会になる”のと逆の発想。割り勘はスポンサー頼りから距離を取る知恵ですね。
セルジオ 地域が社会を支える。そこが文化になる。
佐高 結局、スポーツの話は日本社会の話ですね。
セルジオ サッカーは鏡。勝った負けたじゃない。W杯では地域に根づいたか、社会が育ったかを見たい。
佐高 批評も同じです。憎しみで言うんじゃない。社会のために言う。
セルジオ 僕の恩師は社会。だから社会に返したい。サッカーを通してね。
佐高 批評は、その鏡を拭く雑巾でしょうか。
セルジオ そうですね。でも、だいぶボロ雑巾になってきたかな(笑)。
▽セルジオ越後(せるじお・えちご)1945年7月28日、ブラジル・サンパウロ生まれ。日系ブラジル人(2世)。64年に名門コリンチャンスとプロ契約を結び、右ウイングとして活躍。72年来日後は指導者・評論家の道へ進み、78年に「さわやかサッカー教室」を開始。Jリーグ開幕以降は、歯に衣着せぬ辛口解説でテレビ、新聞、雑誌など幅広い媒体に登場してきた。現在はH.C.栃木日光アイスバックスのシニアディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問などを務め、スポーツ文化の発展に尽力している。
▽佐高信(さたか・まこと)1945年1月19日、山形県生まれ。評論家、ジャーナリスト。高校教師、経済誌編集者を経て執筆活動に入り、「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を可視化するなど、政治・経済・文化を横断する批評眼で知られる。権力やメディア、知識人をめぐる人物論にも冴えを見せ、社会運動と連動した発言・執筆は無二の存在感を放つ。元「週刊金曜日」編集委員。著書に「逆命利君」「タレント文化人200人斬り」「昭和20年生まれ25人の気骨」ほか。


















