野村監督の“二面性” 「俺は差別せん」と言いながら…冷遇された平石は腐りかけた時期がある
「俺は差別はせん」
野村克也監督はよくこう言っていた。でも、チームメートの平石洋介に対しては違った。
「おまえは田尾(安志前監督)の縁故だろ」
こんな嫌みを言うことも。田尾さんも平石も同志社大学出身とはいえ、やっぱりチームのルール(前回に記述)を無視したと見なされたことが尾を引いていたのか……。「監督、全然差別しとるやん」と少し呆れた記憶がある。
平石はプロ1年目(2005年)、結果を残せなかったせいか、途中から諦めてしまったような雰囲気があった。遊ぶことに気持ちが行って、礒部公一と飲み歩いていた時期も。見るに見かねた俺はオフの選手納会で注意した。
「そんなことばかりやっとったら、すぐに選手終わるぞ。飲みに行くのは大いに結構。でも自分の考えを持ってやれよ。先輩に振り回されて朝まで飲んでてええのか。一軍って場所は、飲みに行くのが仕事じゃねえぞ」
翌年、平石は心を入れ替えたのか、練習から必死にバットを振っていた。なかなか一軍から声がかからなかったけれど(一軍出場は2試合のみ)、二軍では好成績をキープ(イースタン・リーグ2位の打率.328)。次の納会では「チャンスがもらえなくても腐らずに頑張っとるらしいな。これからも頑張れよ」と声をかけた。選手としての実績は残せなかったが、18年には一軍監督に就任。俺のおかげでなれたかもしれん(笑)。
平石は苦労人だ。野村監督から打ち方を全否定され、ことごとくキツくあたられたという。二軍で結果を出しているのに一軍から声がかからない。野村監督に「打ち方を変えたい」と直談判したものの、「誰がおまえになんか教えるか」と一蹴されたという。このエピソードは俺が知る野村監督とはずいぶん印象が違う。
「来る者拒まず、去る者追わず」
俺が見てきた野村監督のポリシーだ。選手から行けば監督はアドバイスでも何でも答えてくれる。ただ、
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