佐川光晴
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佐川光晴

◇さがわ・みつはる 1965年、東京都生まれ。北海道大学法学部卒業。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞受賞。02年「縮んだ愛」で第24回野間文芸新人賞、11年「おれのおばさん」で第26回坪田譲治文学賞受賞。著書に「牛を屠る」「日の出」など多数。「大きくなる日」は近年の中学入試頻出作品として知られる。

第1話 じゃりン子チエは神 <8>

公開日: 更新日:

校庭でひとり鉄棒の腕を磨く

「それって、泥棒と同じじゃねえ」

「30枚はひどいよなあ」

 いつも遊んでいる男子たちが小声で話しながら三男に背中を向けた。女子も、いかにも軽蔑した目でこっちを見ている。荻村君は窓側の席でとなりの女子と楽しそうに話していた。

 みんなになにを言ったのか、荻村君を問い詰めたかったが、それでは余計に立場が悪くなりそうだった。

 昼休みも放課後も誰も遊んでくれなくなり、三男は落ち込んだ。しかし、元気はありあまっていたので、この機会に鉄棒の技を磨くことにした。

 足掛け回りに、足掛け後ろ回り。両膝の裏で鉄棒からぶら下がり、頭を下にしたまま体をゆらして、反り返りながら着地する「コウモリ」。鉄棒の上に両足で立ち、しゃがみながら両手で鉄棒をつかんで前方に大きく飛ぶ「飛行機」。

 どれも身につけていた技で、三男はすぐに飽きてしまった。ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得した体操選手たちの活躍は目に焼き付いていたが、小学校の鉄棒で大車輪に挑むのはさすがに危ない気がした。オリンピックで使う鉄棒はとてもよくしなるし、手につける白い粉にも秘密がある気がする。

 そんな時、NHKテレビで体操の大会の放送があり、三男は食い入るように演技を見つめた。選手はコーチに支えられて鉄棒に飛びつき、両脚を振ったかと思うと、腰を鉄棒に当てた体勢になっている。ただし、それは助走のような技なので、いくら解説を聞いても、その技の名前は言っていなかった。

 両親や兄たちも知らなかったので、三男は担任の橋本先生に質問した。

「あれは蹴上がりだ。選手たちは簡単にやっているが、けっこう難しいんだぞ」

 橋本先生は体育が専門だ。5、6年前までは蹴上がりができたが、50歳を過ぎた今はとても無理だという。

「山田の運動神経なら、少し練習すればできるんじゃないか」

 三男は蹴上がりを教えてほしいと頼んだが、校庭の鉄棒では危ないと断られた。それでもしつこく粘り、コツを教えてもらった。

「大切なのは体の動きをイメージすることと、リラックスすることだ。そろえた両脚を大きく振って、足先が一番高い地点にきたところで空中を蹴るんだ。仰向けに寝転がった格好でズボンをはくイメージで、空中を蹴って、その反動で起き上がる。腕の力はいらない」

 その日の放課後、三男は一番高い鉄棒にぶら下がった。校庭ではクラスメイトが荻村君を中心にドッジボールをしているが、誰も三男を誘ってくれなかった。ただし気になるようで、みんなチラチラこっちを見ている。

「多分、いけるね」

 小声で言うと、三男はそろえた両脚を大きく振って勢いをつけた。

「よし。次だ」

 頭の中で決意し、つま先が鉄棒の高さを超えた瞬間、両脚で空中を蹴った。途端に上半身が起き上がり、三男は鉄棒の上にいた。

「えへへ、やったね」

 ひとりで喜んでいると、「山田君、すげえ」と口々に言いながら、クラスメイトが走ってきた。

「今の技、なに?」

「蹴上がり」

「もう一回、やってみてよ」

「いいよ」

 鉄棒の上から校庭に目をやると、ボールを持った荻村君がつまらなそうに立っていた。

「おい、荻村。おまえのおかげでもあるんだぜ」

 頭の中でつぶやき、三男は「飛行機」で砂場に降りた。そして鉄棒に飛びつき、見事な蹴上がりを決めた。

 (つづく)

【連載】昭和40年男

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