ある日突然、“日常”が失われる ノワール小説特集

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「逃亡者」中村文則著

 ある日の奇妙な出来事、あるいは誰かの悪意を込めたひと言が、世界を一瞬にして変えてしまうことがある。そこからはもう、元の日常には戻れない。そんな恐怖を味わってみたい人にオススメの5冊。



 ドアの鍵が外され、背の高い男が入ってきた。「……あれはどこにある?」。「あれ」とは「悪魔の楽器」と呼ばれているトランペット「ファナティシズム」だ。

 第2次大戦中、そのトランペットが奏でる音が兵を熱狂させ、日本軍の作戦を成功させたという。「僕」が拒否すると、男は「1週間後、君が生きている確率は」と言い、「4%だ」と告げて出ていった。僕はトランペットの入った黒いリュックを持ってケルン大聖堂に向かう。ステンドグラスを見ていると、後ろから女の声がして、タクシーでホテル・イム・ヴァッサートゥルムの405号室に行けと指示した。無視して別のホテルに行くと、あの女から電話が入り、あのトランペットには修理不能地点があるので確認させてほしいと言う――。

 ある女との約束に縛られ、「悪魔の楽器」を持って逃げる男の逃避行。

(幻冬舎 1700円+税)

「修羅の家」我孫子武丸著

 野崎晴男が公園でまどかの首を絞めてレイプしていたら、中年の女と目が合ってしまった。「彼女はイキすぎて動けない」とごまかしたが、中年の女、神谷優子は「――殺しちゃったのかもね」と言い、「それくらい元気がある男の方が好きさ」と晴男を自宅に誘った。

 それが無間地獄の始まりだった。そこにはTシャツにステテコという同じ服装の男女が座っていて、そこに神谷愛香という娘が帰ってきた。優子は愛香と晴男を「似合い」だと言う。晴男がこの家の「客」でいる限り、優子は晴男の殺人を通報しないと言うが、晴男は何か薬を飲まされて体が動かなくなる。おぞましい儀式を受けさせられたあと、「家族」となった晴男は、その家の住人が優子に虐待されていることに気づく。やがて、「悪魔」が支配する家で生活する愛香を救い出そうとする男が現れる。

 現実にあった事件を彷彿させる恐怖と衝撃に満ちたミステリー。

(講談社 1700円+税)

「月岡草飛の謎」松浦寿輝著

 俳人の月岡草飛はラジオの番組でインタビュアーを務めている。放送局のKHNは何の略なのだろう。Kのつく国名にキルギスがある。担当の女は日本人離れした美人顔だから、キルギス人の血が混じっているのかもしれない。キルギスはロシア語が通じるはずだから、「ドーブラエ・ウートラ(おはよう)」と話しかけてみたが、何の反応もない。迎えの車を降りるとき、ドーブラエ女史に「番組のなかではどうか日本語でしゃべってくださいね」と切り口上で言われた。

 だが、あの何の装飾もない灰色のビルは本当にラジオ局なのだろうか。表玄関から入れてもらったことは一度もなく、いつも表示も看板もない安っぽい通用口に車で乗り付けるだけだ。俺にしゃべらせて何か情報を引き出そうとしているのではないか。(「ラジオ放送局の謎」)

 9編のブラック&ナンセンス奇譚集。

(文藝春秋 2000円+税)

「パライゾ」阿川せんり著

「彼」が秋葉原駅を降りて足を一歩踏み出そうとした瞬間、周囲の人たちがぐずぐずになった。一瞬にしてぐちゃぐちゃにねじれ、圧縮され、黒い塊となった人間が主を失った服や靴の上でぴちぴちとはねている。

 黒い塊のはねる音が押し寄せてきたので、彼は駆け出した。巨大なスーツケースを持った女がやってきて、「あたし以外にもいたんだ、生きてる人」と言う。女はスーツケースで路上にある黒い塊をわざわざ轢いていく。彼が「お前は、人間を踏み潰したんだぞ!」と言うと、「元・人間でしょ」と言い放つ。中年の男の姿が見えたが、女が拾った拳銃で撃ち殺した。

 女のスーツケースには死体が入っていた。死体は塊にならず死体のままだ。彼も自宅で祖母を殺してきた。人殺しは人じゃないから人間の姿のままなのか。(「墓地」)

 10編の不条理な世界を描くディストピア短編集。

(光文社 1600円+税)

「暗鬼夜行」月村了衛著

 駒鳥中学では毎年、読書感想文を夏休みの宿題にしていた。文芸部顧問の汐野悠紀夫は、藪内三枝子の感想文を最優秀作として読書感想文コンクールに出品した。ところが、生徒のスマホに「藪内の読書感想文、昔の入選作のパクリだって」というメッセージが入る。発言者は志村蓮になっていたが、本人は投稿してないという。

 その頃、汐野は、結婚を考えていた沙妃が県会議員の浜田勝利の娘だと知った。浜田に引き合わされ、自分が浜田の後継者として期待されていると知り、政治家を目標にすることにしたが、盗作騒ぎはその矢先の出来事だった。藪内は泣きながら盗作を否定したが、1972年の全国優勝作品だと指摘する投稿があり、図書館にあったはずの作品集は72年度版だけが消えていた。

 作家志望の中学教師が罠に落ちる学園サスペンス。

(毎日新聞出版 1800円+税)

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