「ヴェネツィア便り」北村薫著
肺を病み療養中の俺が暮らす鎌倉は、今日は空襲もなく静かな一日だった。こんなご時世だが、双子の兄・輝美がいるおかげで俺は役立たずでいられる。
幼いころから先に生まれたほうが兄だと言い聞かされてきた。だから俺は、侯爵の位も継げず、貴族院議員にもなれない。少年時代に同級生から「双子は、後から生まれた方が兄になる」と聞いたときも、それでは困ると思ったほど軍人は俺の性に合わない。
兄は照り輝いて美しいという名にふさわしいが、なぜ父はだましだまし生活しているような俺に「寿家」などという名前をつけたのか。戦争の終結と自らの死期が迫る中、誕生日を迎えた俺は名前に隠された秘密に気づく。(「誕生日 アニヴェルセール」)
美しい言葉で織り上げられた短編15編を収録。
(新潮社 630円+税)