文庫で垣間見る家族の物語特集
「ゴッホの犬と耳とひまわり」長野まゆみ著
夕暮れ時、家々の窓に灯がともる。心なごむ光景だが、その扉の内側には、外からはうかがい知れないさまざまな葛藤や愛憎が隠れているかもしれない。そんな家族の物語4冊をご紹介。
◇ ◇ ◇
「ゴッホの犬と耳とひまわり」長野まゆみ著
文化人類学者の河島から小包が届いた。「至急開封願う」とある。中には19世紀のフランスの家計簿が入っていた。Tという70代の女性が製紙会社の3代目経営者だった祖父Zから譲られたものだ。Zは若い頃、留学先のフランスでこの家計簿を買ったという。
Zの生家に資料館をつくる計画があり、創業家ゆかりのものとして寄贈しようとしたら、家計簿の余白にさまざまな書き込みがあった。Tが古書商に見せると、古書商は、その家計簿に記された署名はゴッホだと言う。河島はZに取材したことがあったため、古書商に意見を求められたのだ。
続いて届いた第2便には家計簿のコピーが入っていた。実は家計簿は2冊あるという。
ゴッホの手稿をめぐってひとつの家族の系譜が語られるミステリー。
(講談社 935円)
「P町の親子たち」宮口幸治著
「P町の親子たち」宮口幸治著
蒼田千尋の息子、康太は、出生時、黄疸が見られたので保育器に入れられたが、無事に生まれたことにほっとしていた。だが、1歳を過ぎても喃語しか出ない。「まんま」と言えるようになったのは、2歳になる直前だった。
幼稚園のとき、小学校受験を考えて知能教育教室に入れたが、期待した効果は出ない。小学2年生のときから学習塾に通わせた。千尋は康太がみんなから対等に扱われていないのではないかと気になる。
塾のクラス分けのとき、同級生の芦高穂香の母、舞子に「うちは標準クラスでいいわ」と言ったら、「そんなこと言ってたら標準クラスもついていけなくなる」と言われ、「特進クラス」に入ることを望んでいたのに、結果は「標準クラス」だった。(第1話)
P町に住む親子のさまざまな悩みを描く家庭小説3編。
(光文社 770円)
「荒地の家族」佐藤厚志著
「荒地の家族」佐藤厚志著
植木職人の坂井祐治は、造園業のひとり親方として仕事を始めた頃、災厄に遭った。大地が激しく揺れ、膨張した海が襲いかかり、家も仕事道具も奪われたのだ。
2年後、仕事道具を買い直してようやく再出発した頃、体調を崩した妻の晴海が肺炎で世を去る。幼い息子の啓太を抱えた祐治は知加子と再婚するが、知加子は授かった子を流産してしまう。急ごしらえで結婚した夫婦にはその事態が受け止め切れず、知加子は家を出ていった。祐治が帰宅すると知加子の姿はなく、啓太がひとりぽつねんとテーブルの前に座っていた。
時が経ち、啓太はもうすぐ中学生になる。だが、祐治は走っても走っても前に進まず、自分だけが取り残されているような気がした。
喪失感を抱えたまま生きる男の物語を描く、芥川賞受賞作。
(新潮社 572円)
「ガラスの海を渡る舟」寺地はるな著
「ガラスの海を渡る舟」寺地はるな著
里中道と羽衣子の兄妹は、大阪の空堀商店街で「ソノガラス工房」を営んでいる。ある日、神戸市須磨から西尾という女性客が訪れた。若くして死んだ娘を味気ない陶器の骨壺に入れるのが耐えられず、自宅において供養するために、ガラスの骨壺を注文したのだ。西尾が「すてき」と手に取る骨壺は、どれも羽衣子の作品ではなかった。
転んで泥まみれになった道が帰ってきたとき、西尾が「こんなきれいなものに骨を入れるなんて」と言うと、道は、入れるのは骨だけでなく、みんなそこに納めておきたいものがあると言った。
「骨壺は、あのかたがつくられるんですよね」と言われて、羽衣子はため息をついた。道には、他の人間とは違うという目に見えないしるしがついている。わたしにはついていない。
協調性のない兄と、突出した「何か」がない妹の物語。
(PHP研究所 902円)