「ラバウルの迷宮」鈴木智氏
「ラバウルの迷宮」鈴木智氏
物語の舞台は、終戦後10万人の日本兵が取り残された南洋の前線基地ラバウル。主人公の霧島は、元上官の永峰の指名で通訳兼交渉役として第九収容所に異動となる。元商社マンの霧島の英語力を買われての抜擢だが、暴動計画の噂の真偽を探り、その計画を阻止する目的もあった。現地に赴いた霧島は、日本兵の早期帰還と待遇改善の交渉に加え、「忠臣蔵」の芝居上演を豪軍に認めさせることを命じられる。忠臣蔵はGHQが禁じた演目だというのに、なぜなのか……。
「終戦後、収容所の日本人が忠臣蔵を上演し、その裏で暴動計画もあったという史実をもとに2005年に一度脚本化し舞台で上演もしています。当時戦争は遠い過去だと思えたのに、20年たった今は戦争が身近になってしまった。小説では、脚本時には触れなかった登場人物の戦争経験を深掘りしています」
本書は、国のために南方に駆り出された日本兵が、敗戦後に舞台上演に向かって動き出すその躍動感とその背後にうごめく暴動計画を描いたヒューマンサスペンス小説。何が起きてもおかしくない状況下、最後までハラハラさせられる展開となっている。
物語には、さまざまな兵士が登場する。忠臣蔵上演を言い出した元新国劇役者の神崎、マラリアで今にも死にそうな元美学生の沢井、全滅部隊の生き残りの秋草のほか、特攻作戦など自害をいとわない日本人を研究する豪軍のウィリアムなどだ。
「なぜ忠臣蔵なのか。それは藩のために命を捧げることを良きこととして、美しく描かれた物語だからです。私たちは自分のためではなく、組織のため主君のために死ぬことに美学を感じやすいし、それがラクなんです。戦後の『24時間働けますか』は、藩が会社になっただけですし、最近の日本人を強調した政策に心動かされるのも似た心理かもしれません」
当初、忠臣蔵の芝居自体が暴動のきっかけになりかねないと考えて芝居を止めようと思っていた霧島。しかし、兵士の心情を知るにつれ、上演実現に向けて動くことを決意する。実際、忠臣蔵の舞台を作るには多くの技術と職人芸が必要だった。舞台こそが、兵士の本来の職分を発揮できる場だと豪軍に伝えた上で、日本人を研究するウィリアムに舞台で日本人を見せようともくろむのだ。
敗戦で目標を失い、すっかり緩んでだらしなくなった日本兵が、上演が決まると収容所は途端に活気づく。手製の太鼓や三味線がかき鳴らされ、洗い場では藍染め職人たちがシーツを鮮やかな色合いへと変え、衣装の準備をする。沢井が描いた野外劇場のデザインをもとに、ヤシの木で組まれた舞台の梁がジャングルに姿を現す。警備中の豪兵も身を乗り出すほどの日本兵の変貌ぶりも読みどころだ。
「戦中戦後、物作りに取り組んだ日本人の情熱は、とても誇れる素質で、戦争中でも芝居や音楽をやろうと言う人たちがいたことは素晴らしいこと。彼らの生き方は僕のお手本でもあります。もちろん日本社会の同調圧力に逆らうのは並大抵のことではないかもしれません。物語を楽しんでいただきながら、戦争時代の精神状態から日本人が変わってないことを感じてもらい、勇ましい物語に酔う前に立ち止まることを考えてもらえたら」
(河出書房新社 2200円)
▽鈴木智(すずき・さとし)栃木県生まれ。早稲田大学卒。脚本家。映画「誰も守ってくれない」(モントリオール国際映画祭最優秀脚本賞)、「金融腐蝕列島・呪縛」、ドラマ「トクソウ」「JKと六法全書」など担当脚本多数。本作が小説デビュー作となる。