荻堂顕(作家)
2月×日 先週床に物を落とし、かなり大きな穴を開けてしまった。慌ててホームセンターで補修キットを買い、自分なりに埋めてはみたものの、むしろ見栄えは悪くなる一方である。そこで、思い切ってプロを呼んだ。5センチの穴は鑑識の現場のようにライトで照らされ、さまざまな工具で補修がなされていく。「終わりましたのでご確認ください」の声がして廊下に赴くと、確認しようにも、どこに穴があったか分からなくなっていた。「物を直す」という仕事は素晴らしい。心の穴まで埋めてもらえた気分だった。作業を待っている間、アシル・ンベンベ著「ネクロポリティクス」(岩崎稔ほか訳 人文書院 4950円)を読んでいた。我々が所与のものとして享受してきた民主主義について、あらためて再考しなければならない時期が来ているのではないか。前の週に読んだ佐藤卓己著「大衆はどう国民化されたのか」(清水書院 1100円)にも通ずる内容だが、いかんせん難しい。左手の重みがまったく変わらない。
2月×日 街に人が多いので土日は外出しないようにしている。家から出るのは犬の散歩だけだ。うちの犬は仕事並みの熱心さで拾い食いをするので、片時も気が抜けない。本に貼った付箋もよく食べる。散歩後は「ネクロポリティクス」をお休みして、佐野洋子著「シズコさん」(新潮社 572円)を読んだ。恥ずかしながら絵本作家としての佐野さんしか知らず、文章を読むのは初めてだった。言葉の切れ味が鋭すぎる。こういうユーモアとペーソスに憧れるのだが、残念ながら、平成生まれの作家には望むべくもない。引き続き精進したい。
3月×日 山本文緒著「無人島のふたり」(新潮社 572円)を読んだ。佐野さんのエッセーもそうだが、物語に携わる仕事をしている方の「物語ではない文章」を読みたかったのだと思う。「記憶は死に対する部分的な勝利である」というカズオイシグロの言葉が、僕が小説を書き始めた原点だ。であれば、物語は何に対して部分的に勝利できるのか。そのことをずっと考えている。山本さんの小説はこれからも読まれ続け、世界に残り続ける。



















