著者のコラム一覧
細田昌志ノンフィクション作家

1971年、岡山市生まれ、鳥取市育ち。CS放送「サムライTV」キャスターから放送作家としてラジオ、テレビの制作に携わり、ノンフィクション作家に。7月に「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝」(新潮社)が、第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。

山口洋子が中日・不動のエース権藤博と夢見た結婚

公開日: 更新日:

「オール読物」という文芸誌がある。1998年3月号で「球春対談・プロ野球は男のロマン」と題した1組の対談記事が組まれた。当時「姫」の店舗を他人に譲渡し、作詞家から作家に主軸を移していた山口洋子と、この年から横浜ベイスターズ監督に就任した権藤博の対談である。

 佐賀県鳥栖市出身の権藤は、社会人野球のブリヂストンタイヤをへて、1961年中日ドラゴンズに入団。杉下茂から受け継いだエースナンバー20を背にルーキーイヤーから一軍に昇格。先発投手陣の仲間入りをはたした。いざシーズンが始まると先発ローテーションどころか、69試合に登板。35勝19敗、奪三振310、防御率1・70と超人的としか言いようのない記録を打ち立て、「最多勝」「最優秀防御率」「最多奪三振」の投手3冠に加え、「沢村賞」と「新人王」を獲得。1シーズンの投球回数429・1回は現在も破られていない。

 連投に次ぐ連投を重ね「雨・雨・権藤・雨・権藤」とうたわれた権藤博は「東の長嶋茂雄」と並び称された花形選手であり、中日球団史を代表する比類なき大エースと言っていい。現役引退後は野球解説者に転身。その後は中日、近鉄、ダイエー、横浜で投手コーチを務め、98年に横浜監督に就任すると、1年目にしてチームを38年ぶりのリーグ優勝と日本一に導いている。対談はまさに、そのシーズンが始まる春季キャンプ直前に行われたものだった。権藤博と山口洋子は古い付き合いだという。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した

  2. 2

    【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと

  3. 3

    カーリング女子フォルティウスのミラノ五輪表彰台は23歳リザーブ小林未奈の「夜活」次第

  4. 4

    3度目の日本記録更新 マラソン大迫傑は目的と手段が明確で“分かりやすい”から面白い

  5. 5

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  1. 6

    福山雅治&稲葉浩志の“新ラブソング”がクリスマス定番曲に殴り込み! 名曲「クリスマス・イブ」などに迫るか

  2. 7

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  3. 8

    松岡昌宏も日テレに"反撃"…すでに元TOKIO不在の『ザ!鉄腕!DASH!!』がそれでも番組を打ち切れなかった事情

  4. 9

    年末年始はウッチャンナンチャンのかつての人気番組が放送…“復活特番”はどんなタイミングで決まるの?

  5. 10

    査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった