「道明寺」は、単純に面白い通俗的なミステリーだと再発見できた
観客も「仁左衛門の菅丞相」については、神様を拝みに行くような感覚になっていた。だが、幸四郎は「牛肉は食べない」と言うだけで、精進潔斎はしないと言う。そのせいか、幸四郎の菅丞相は、太宰府ではなく、近所の神社に行くような感じだった。
その結果、『道明寺』は「神聖な奇跡の舞台」という先入観が吹き飛び、母による娘へのDVに始まり、死体なき殺人事件、死体発見から犯人の特定、時刻操作のトリック、人形を使った替え玉トリックなど、通俗的なミステリーなんだと再発見できた。これは単純に面白いのだ。誰も仁左衛門のようにはできないのだから、神聖なものと構えずに、もっと気楽に上演したほうがいいのではないだろうか。
次世代での菅丞相のもうひとりの候補が菊五郎(8代目)で、『道明寺』で輝国を演じている。仁左衛門とこの役で共演するのは今回が2度目。同じ舞台に立ち、「その時」に備えて仁左衛門を凝視している。
菊五郎は他に、「賀の祝」の桜丸をつとめている。動きがない役なので、表情と声のトーンの変化だけで、後悔と絶望と、そのなかでの救済と諦念といったさまざまな感情の揺れ動きを、切々と描き切る。菊之助時代は情が薄かったが、襲名した効果なのだろうか、静かな熱演だった。次は、菊五郎の菅丞相を見たい。
(作家・中川右介)