笑福亭鶴瓶が京都産業大の同級生と“一線”を超えた瞬間 部屋では手を握るだけの純情派
同級生のR子に一目惚れしていた鶴瓶は落研のマネジャーに引き込むだけでなく、同棲も始めている。1年生の10月のことだ。R子の下宿先に押しかけ、2人の生活がスタート。女子学生ばかり住むアパートだったので下着泥棒と間違われることもしばしばだった。
部屋では一緒に横になっても手を握るだけだった。その先に発展するのは翌年2月。雨が降りしきる奈良に旅行した時に手を握る関係を越えた。意外に純情派だったのだ。翌朝、2人が目を覚ますと、雨は雪に変わっていた。
■噺家を目指して同棲をいったん解消
最初の同棲生活は1年半で終わった。鶴瓶が京産大を中退し、笑福亭松鶴に弟子入り。実家から大阪市内の師匠宅に通うことになったからだ。修業の身となった鶴瓶だが、「師匠を困らすことでは群を抜いていた」(元文化部記者)という。大晦日に泥酔して住吉神社の鐘をつきまくったり、新婚夫婦の営みをのぞこうとアパートをよじ登り警察に連行……。
その頃、R子は大学を卒業し四国の実家に戻っていた。月に1度、大阪に来て鶴瓶と会っていたが、結婚には至らなかった。四国の両親が「噺家風情に娘はやれない」とかたくなだったからだ。しびれを切らしたR子はなけなしの貯金30万円をはたいて大阪市内にアパートを借り、同棲生活が再開。四国の両親の承諾を得られないまま74年10月、式を挙げ、清水と原田も駆けつけた。式の費用は2人が払ってくれた。その時すでにR子は妊娠していたが流産。半年後に再び妊娠し、無事女の子を出産した。R子の親も結婚を認めるしかなくなった。
その2年後(78年)には長男(俳優の駿河太郎)が誕生。この年、ラジオ大阪の深夜放送「ぬかるみの世界」のパーソナリティーに起用されると「関西ヤングの教祖」と呼ばれるように。人気を不動のものとし、東京進出の足がかりをつくった。 =おわり



















