32歳での夭折がなければ8年目の解散は回避可能だった
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特別編「5人目のビートルズ~ブライアン・エプスタイン」②
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ビートルズを世界的音楽家に育て上げたキーパーソン、マネジャーのブライアン・エプスタインが亡くなったのは1967年8月27日のこと。32歳の若さだった。
自殺説も流れたが、死因は薬物の過剰摂取とされている。また、その死には、自らが取り仕切っていたコンサートツアーをメンバーが拒否し、レコーディング活動に専念するという決断が大きく影響したといわれる。
コンサートという絆を断たれ、手塩にかけたメンバーとの距離が広がっていく悲しみは、いかほどのものだったか。
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昨年公開の映画『ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男』のラストシーンの舞台は、ブライアンの亡くなる約2カ月前、全世界に衛星生中継された『アワ・ワールド』のスタジオ。
よく知られているように、この世界初の多元衛星中継において、ビートルズはイギリスの代表として出演し、『愛こそはすべて』を歌うのだが。
歌う直前にメンバーがブライアンを呼び寄せて5人で肩を組む。ブライアンが「君たちは唯一無二だ」と言うと、ジョンが「それは君だ」と返す。そしてポールによる言葉がテロップに出る──「ブライアンは5人目のビートルズだ」。
こうして「5人目」を失ったビートルズは、まるで船頭をなくしたように、方向を見失い、収拾のつかない状態になっていく。70年、デビューからたった8年目での解散なんて、なかったかもしれないのだ。もしブライアンがその後も生きていたとしたら──。
さて最後に、ブライアンに関する小ネタ。来日公演への歩みを克明に描いた佐藤剛『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)という本に、プロモーター・永島達司とブライアンが来日公演の料金を折衝する場面がある。
「コンサート会場は武道館、入場料は1人10ドル(当時3600円)」を提案する永島達司に、ブライアンは「1人6ドル以下の入場料にしたい」と申し出る。6ドル=2160円になるので、永島が10円以下を切り上げ「1人2200円にしましょう」と返すと、「いや、2100円だ」とブライアンが返したのだという。
かくしてビートルズ来日公演は、高くない料金設定も影響して、あれほどまでに多くの若者で埋め尽くされ、その後の日本の音楽シーンに大きな影響を与えていく。
ブライアンの地味ながら、とても大きな偉業ではないかと思うのだが、どうだろう。
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