山崎元さん<4>転職10回で「会社員に向いていない」と自覚
1997年に山一証券が自主廃業し、拓銀が潰れ、98年には長銀と日債銀が国有化された。金融業界は激変し、転職が活発に行われる時代に突入した。
「それまで大手金融業界には、転職のために辞職するという企業文化がありませんでした。『裏切り者だ』『こんないい会社なのにおかしい』と非難されたものです。外銀に引き抜かれたりしたら、『取引しないぞ』と脅かしたりする会社もありましたよ。副業もそうで、毎月何十万円も本業以外で稼いでいたら、何となく白眼視されそうな雰囲気でしたね。ただ、会社の情報を持ち出したり、対立する仕事でなければ、そこは自由であるべきだと思います」
97年の山一倒産後、第一勧業朝日投信投資顧問(当時)に転職した頃からは、実名の原稿も増え始めた。
「友人の紹介で知り合った作家の村上龍さんが立ち上げたJMMというメールマガジンに、定期的に書いていました。勤め先も実名で書くようになり、講演もやったり。会社には、個別に許可を取っていました」