新1万円札の顔 渋沢栄一が明治近代化に尽くした本当の理由

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 1万円札の新たな顔に決まった日本資本主義の父・渋沢栄一。彼は徳川慶喜に尽くした徳川の遺臣であり、実は慶喜を退けて樹立された明治政府に強い敵愾心を抱いていた。

 江戸から明治に時代が変わる際、渋沢はフランスのパリに滞在中だった。帰国すると江戸から静岡に国替えとなった徳川家に赴き、理財の才を発揮して徳川家の苦しい財政を大いに潤した。

 これに目を付けたのが人材難に苦しむ東京の明治政府で、渋沢を引き抜こうとする。

 だが彼は出仕要請を断固として拒絶。徳川幕府を倒した政府に仕える気になれなかったからだ。しかし政府から督促を受けて板挟み状態だった徳川家の立場に配慮し、やむなく東京に出た。30歳の時である。

 大蔵省の官僚となった渋沢の最初の職務は租税の徴収だったが、やはり気が進まず、大蔵省を取り仕切る大隈重信に辞意を伝えた。

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