パトリック・ハーランさん BDケーキは“レッドベルベット”
米ハーバード大卒で東工大非常勤講師を務めるパトリック・ハーランさん(49)は、お笑いコンビ「パックンマックン」としてインテリ芸人の顔を持つ。だが、意外や、貧しい家庭環境で育ち、思い出は誕生日にお母さんが作ってくれた「レッドベルベットケーキ」。
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父は米空軍アカデミーの教官でした。実家のある街や遠隔地に4年おきに転勤しましたが、母・ナンシーと住んでいたのはコロラド州コロラドスプリングスでした。僕が7歳の時に親が別居、翌年に離婚。2年間は母と姉と3人家族でしたが、その後、父が姉を引き取って2人きりの生活になり、僕は母の女手ひとつで育てられました。
母は銀行や保険会社、出版社、電気測定器メーカーなどで仕事をしてなんとか生計を立てたが、コロラドは景気が悪く、失業と就職を繰り返すギリギリの生活でした。生活保護をもらった時期もあります。高校の時に、母は学費を借り大学院で修士を取って小学校の先生になりました。そこで初めて安定しました。
家計が厳しいから食費は1人1食89セント、2人で2ドル弱、日本なら1日ほぼワンコイン(500円)以下に抑えていました。飲み物は水と牛乳よりはるかに安いパウダーミルク、いわゆる脱脂粉乳です。炭酸飲料を飲ませてくれたのは風邪をひいた時だけ、それもジェネリックなやつを、胃に悪いからというので炭酸を飛ばして。
僕は鍵っ子だったから自分で料理することも多かった。朝はパンケーキやワッフルにソーセージ、卵、夜はチキン、スパゲティ、茹でたマカロニをオーブンで焼くキャセロールやミートローフ。いろんな部活をやっていて作る時間がない日は母が出勤前に仕込んで、夕方帰ってきたら食べられるように、ゆっくり時間をかけて肉を焼くスロークッカーで調理したものとか。
反抗期の時は怒鳴り合いのケンカになることもあったけど、食事は食卓で一緒に食べるのがお約束でした。忙しくて時間がない時はソファに移って、2人でテレビのクイズ番組を見ながら食べることもありましたけど。
そんな中で思い出すのはターキーのバーガーと、誕生日に必ず作ってくれる「レッドベルベットケーキ」です。
■ビーフのコンソメで味付け
ターキーは牛肉の半額くらいの安さでパサパサだからビーフのコンソメで味付けした。母は今振り返ると「脱脂粉乳とターキーバーガーで悪かったね」と言う。
でも、赤い着色料を使ったチョコ味のレッドベルベットケーキを食べるとものすごくテンションが上がりました。今でも世界一のケーキだと思っています。
母はシガニー・ウィーバー似の毅然としたキリッとした女性。思い出すのは大学に入学した時のエピソード。高校を首席で卒業したけど、大学は補欠合格でした。周りより成績もスコアもいいから、最初に合格通知が来るはずなのに、なかなか来ない。それで毎日世の中に怒っていたら、母が通知を受け取って先に開けていた。市販のケーキを買ったことはないのに、その時だけは僕が帰宅する前にお店でボストンクリームパイを買ってきて、合格通知と一緒にテーブルに置いてくれていました。外がチョコ、中がカスタードクリームみたいなやつ。おいしかったですね。
母は今再婚しています。僕は家族で実家に帰省するとき、母の質素な料理で幸せになるけど、よく妻と2人でご飯を作ってあげます。日本のおいしくてぜいたくな味を食べてもらいたいからね。
(取材・文=峯田淳/日刊ゲンダイ)