マックン 上京する前夜に食べた「カニクリームコロッケ」
お笑いコンビ「パックンマックン」の結成は1997年。米コロラド州出身のパックン、実家は世界遺産になった富岡製糸場とは目と鼻の先というマックンの日米の異色コンビだ。マックンの泣かせるエピソードを……。
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群馬の実家は富岡製糸場から徒歩3分、明治時代から続く金物屋をやっていました。店番の担当は水前寺清子さんに似ていると評判だった話し好きの母・三津子です。うちは上州ならでは、絵に描いたようなカカア天下で、父は一日に一言二言しか話さないような無口な人でした。
母は近所でも料理上手と評判で、僕たちきょうだい(兄と姉)も母の料理が大好き。中でもごちそうは手作りのカニクリームコロッケです。僕は「眞(本名)、何食べたい?」と聞かれ、いつも「カニクリームコロッケ!」と答えていた。運動会や試験前夜などここ一番の時もよく作ってくれました。
母のはホワイトソースから作る。高崎市の洋食店でアルバイトをしていた時に店主から作り方を教わったそうです。
ナイフを入れるとサクサクとした衣の中に、濃厚なクリームとカニがぎっしり詰まっている。とろりというより硬めのこってりしたソースで。大皿にゴロゴロと幾つも積み上げられ、家族がそれぞれ自分の皿に取り分ける。我が家ではかけるのはウスターソースと決まっていました。
そんな母ですが、芸能界入りは大反対。「ダメなものはダメ」と取り合ってくれない。でも、父は自分が長男として家業を継いだ人で私には「好きなことをやれ」と応援してくれた。
93年、20歳の時です。上京する前夜もみんなで食卓を囲みました。母からは何を食べたいのか聞かれなかったのですが、その時に出してくれたのがカニクリームコロッケでした。食べながら「頑張らないと群馬に帰ってくることはできない」と決心しました。
■父の最後の晩餐もこれでした
僕を後押ししてくれた父は2011年に胃がんで亡くなりました。最後は食事が喉を通らなくなっていた。お見舞いに実家に帰ったらたまたま親戚が集まっていて、振る舞われたのが母特製のカニクリームコロッケでした。
食べたいものを聞いたら普段は無口な父が「カニクリームコロッケを食べたい」と言ったと。もう食欲もなかったはずなのですが。その2日後、父は息を引き取りました。父にとって最後の晩餐はカニクリームコロッケだったわけです。
このことをパックンに話したら「最後にとどめを刺したんだね」と言うんですけど(笑い)。