<5>4年間の短命…山手線内で唯一の廃止となった呉服橋駅
明治42(1909)年12月16日、山手線は全線電化され、この日は山手線の代々木駅が開業し、東北線上野~田端間にも電車線が増設され山手線が直通、途中の日暮里駅にも停車した。
さらに同じ日、品川~烏森(現在の新橋)間の電車線=京浜線が開通し、田町駅、浜松町駅、烏森駅が開業し、山手線が乗入れている。
実は、京浜線とは線名だけで山手線の電車しか走っておらず、京浜線の電車運転開始は大正3(1914)年12月の東京駅開業時を待つことになる。
電化開業時の山手線の運転は、烏森~品川~新宿~池袋~田端~上野間の「C」の字運転が主で、池袋~赤羽間は区間運転であった。開通に合わせて現在と同じタイプのボギー車が登場、2軸の小型車は2~3両編成で運行された。
この電車線の増設により、新橋~品川間、上野~田端間で、長距離列車と電車の走る線路が分離された。なお、目黒駅の複線時代の写真には、架線が張られているのは2線のうち1線のみというものもあり、品川~池袋間では上りと下りで使い分けていたのではなく、1線を旅客(電車)線、1線を貨物線としていた可能性もある。