津野田興一
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津野田興一都立日比谷高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立日比谷高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

日露戦争 狙いは韓国支配…必然だったバルチック艦隊撃破

公開日: 更新日:

 いきなりですが皆さんに質問です。日本はなぜ日露戦争を戦ったのでしょうか? それはポーツマス条約を見ればすぐに分かります(資料)。この第2条にこそ、日本の狙いが凝縮されていると考えられるのです。では、その内容を理解するために、日清戦争終結後から話を始めましょう。

資料「ポーツマス条約」

 第2条「ロシア帝国政府は日本国が韓国において政事上、軍事上および経済上の卓絶なる利益を有することを承認し、日本帝国政府が韓国において必要と認むる指導、保護および監理の措置を執るにあたり、これを阻害しまたはこれに干渉せざることを約す」

■閔妃虐殺事件とロシア

 日清戦争の勝利後、日本の朝鮮公使である三浦梧楼らが朝鮮の王宮に乱入し、王妃である閔妃を虐殺するというショッキングな事件が1895年に起こります。そのため、国王の高宗は難を逃れてロシア公使館に身を寄せることになりました。日本に敵対的な閔妃を排除して、国王を虜にすることで影響力を拡大しようとした日本の狙いは、逆効果となったのです。

 その後、朝鮮国王は、1897年に国号を大韓と改め、さらに皇帝に即位することを宣言します。この大韓帝国の成立をもって、朝鮮は中国からの完全なる独立を実現したのですが、それは政治権力の集中をはかって日本の侵略に対抗するためでもありました。

 一方、下関条約で清から日本が獲得した遼東半島は、ロシアを中心とする三国干渉によって返還せざるを得ず、日本側に不満が残りました。

 さらに、山東の武術集団である義和団が北京に入城した1900年からの義和団戦争の終結後も、ロシアは満州に軍隊を駐屯し続けます。

シベリア鉄道

 以上のように、日清戦争によって朝鮮半島に勢力を拡大したはずの日本にとって、事態は思うようには進んでいなかったのです。

 では、ロシアはなぜ満州に軍隊を置き続けたのでしょうか? その背景にはシベリア鉄道の建設がありました(地図①)。義和団戦争の際には未完成でしたが、後に世界最長となるシベリア鉄道によってロシアの極東への道が開かれたのです。ロシアは三国干渉の見返りとして、1896年にチタからウラジオストク、そして大連・旅順に至る東清鉄道の敷設権を獲得していて、これがシベリア鉄道のバイパス線となり、満州への南下政策が可能となりつつあったのです。これは日本が狙っている朝鮮半島への脅威であると映りました。

■世論の高揚

 戦争は為政者によっていきなり始まるわけではありません。当時日本のほとんどの新聞は主戦論を採用し、現実以上にロシアの脅威をあおり、戦争にふんぎれない日本政府を「恐露病」と罵倒するようになりました。世論もそれを支持し、戦争への道が開かれます。

 なお、クレオソートを使った薬である正露丸はこの時期に売りに出され、第2次大戦までは「征露丸」という名前であったことは有名な話です。そもそも「征露丸」のシンボルマークであるラッパは、軍隊で使うものでしたね。

奇襲作戦

 日本は旅順港外のロシア艦隊に夜襲をかけました。1904年2月8日のことです。その2日後の2月10日に日本はロシアに対して宣戦布告をしますが、国民に知らせたのは翌11日でした。それはなぜでしょうか?

 2月11日は紀元節という祝日で(1872年制定、現在の建国記念の日)、日本におけるナショナリズムが高まる日でした。ここにも、少しでも戦意を高揚させようとする意図が見えますね。

 このように、日露戦争は単なる軍事上の戦いではなく、広報戦争(プロパガンダ)となった初の戦いでもありました。国民を戦争に動員していったことから、日露戦争は「史上初の総力戦」ともいわれます。

兵站線の確保

戦争が始まると、日本は大韓帝国に対して日韓議定書、第1次日韓協約を立て続けに結ばせます。これは、日露戦争の狙いが韓国支配にあったことを示すと同時に、ロシアとの戦いにおいて朝鮮半島は重要な補給基地であり、兵站線を確保するという目的があったからでした。

 ところで、ロシアの兵站線はどうなっていたのでしょうか? 実はシベリア鉄道は未完成区間が残されており、バイカル湖を迂回することができず、なんと巨大な船(バイカル号)で鉄道車両を対岸まで運ばなくてはならなかったのです。バイカル湖の迂回線が開通するのは、日露戦争開戦後、半年以上経ってからの1904年9月でした。ロシアは貧弱な補給に苦しみました。

日本海海戦

 さて、旅順を陥落させ、奉天においても勝利した日本ですが、もはやこれ以上の進軍は国力や財力の点から不可能でした。そこで、遠く大西洋から迂回してくるバルチック艦隊との決戦が、最後のカギを握ることになりました(地図②)。

 ところで皆さんは、日本の連合艦隊がバルチック艦隊を破ったのは必然であったと言ったら驚くでしょうか。バルチック艦隊は、その名が示す通りバルト海に配備された艦隊でしたが、地球の裏側からウラジオストクにまで回航してきたのです。その間7カ月以上もの間、ろくな補給や休息を取ることもできず、赤道を何度も横断するなど目まぐるしい気候の変化にも苦しみ、しかも旧式の船も多数加わっていたために航行速度も遅く、船員たちの士気も著しく低下していました。また、バルト海という内海に対応した喫水の浅い船であったため、波の荒い太平洋では砲塔の多くは使い物にならなかったのです。

 一方、日本の連合艦隊は、同盟国であるイギリスからバルチック艦隊の動向をリアルタイムで把握し、十分な装備と訓練をほどこされていました。負ける要素はほとんどなかったと言っていいでしょう。

再びポーツマス条約

 日本とロシアは、アメリカ合衆国のセオドア=ローズヴェルト大統領の仲介を得て、1905年8月にポーツマス条約を結びます。共にこれ以上の戦争継続が困難になっていたからですが、大韓帝国に対する優越権をロシアに認めさせた日本は、11月に第2次日韓協約を韓国に押し付け、外交権を奪いました。ロシアの脅威が除かれた今となっては、韓国が頼れる国は残っていなかったのです。

■もっと知りたいあなたへ

戦争の日本史20 世界史の中の日露戦争
山田朗著(吉川弘文館2009年)2500円(税別)

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