学校の音楽・美術・体育は明治の「富国強兵」から始まった
音楽も体育も美術も、義務教育に取り入れられたのは明治の富国強兵政策の一環だった。これは世界でも唯一日本だけであり、そのため音楽を教えることは教員に必須となった。体育を教えるのは頑健な肉体をつくるため、美術を教えるのは戦地で斥候に出たときに敵陣をスケッチする力を養うためだ。きっかけは日本人と軍楽隊との出会いである。
幕末、薩摩・長州両藩は、薩英戦争と馬関戦争で欧米諸国と戦った。彼らが何より驚いたのは、敵が軍艦の上で大砲を撃ちながら音楽を演奏していたことだった。その姿に圧倒され負けた薩長は、「戦争に勝つには軍楽隊が必要だ」と思い込んだのだ。
戦後、薩摩藩は1869年にお雇い外国人を招き「薩摩バンド」を結成した。日本初の軍楽隊であり、吹奏楽団だ。藩士たちがお揃いの詰め襟の制服を着た写真がある。これが後の学生服の原型である。