赤羽「立ち飲みいこい」で、脳裏に蘇った子供の頃の“角打ち”の思い出
第77回 赤羽(北区)②
アタシは子供の頃、よく近所の酒屋に使いに行かされた。
店に入ると薄暗い奥の方にオッサンたちがいた。4、5人でいっぱいになりそうな立ち飲みカウンターで、当時は安かったであろう鯨の大和煮などの缶詰で酒を飲んでいた。
ただ、隠れるように飲んでいたことが子供心に不思議だった。その後、それが角打ちなるものであると知り、と同時に隠れて飲む理由も知ったのである。その理由は長くなるので小売業と飲食業のルールの違いとだけ言っておこう。だから最近の立ち飲み酒場を無邪気に角打ちと呼ぶことにアタシらの世代は違和感を覚えるのだ。いかん、このところジジイの文句が多くなってきたようだ。
さて、角打ちは古い歴史があるが安く飲める立ち飲み屋が人気になったのは意外と最近である。その火付け役となったのは今回の目的店、立ち飲みいこいだ。酒類卸業の創業者が昭和45年に立ち飲みいこいとして開業。もともと酒屋兼角打ちとして営業していたところだというから、立ち飲み酒場になったのは自然な成り行きだろう。
昼下がりの明るい時間に入店するとL字のカウンター奥に陣取る。壁際には7、8人が飲める大きいテーブルが5台ほど。カウンターはほぼいっぱいだが、テーブルはまだ余裕がある。目の前には代金を入れる容器が置かれ、そこに小銭を入れ注文ごとにそこから支払うシステム。