ウィッキーさんの息子は慶応大医学部卒、ハーバード大学大学院修了の超エリート! ウィッキーさんの妻が初めて明かした教育法とは?
かつて朝の情報番組「ズームイン!!朝!」(日本テレビ系)で、人気を博したコーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」。スリランカ人のウィッキーさん(89)に英語で話しかけられ、トンチンカンなリアクションをする日本人がおかしかった。
そのウィッキーさんの一粒種・ガネシュさん(56)は慶應義塾大学医学部卒業後、米ハーバード大学医科大学院に留学し、現在はボストン小児病院で臨床・研究に情熱を注いでいる。どうすれば、わが子をそんな優秀な子に育てられるのか。ウィッキーさんの妻であり、ガネシュさんの母である晴代さん(86)に子育ての秘密を聞いた。
■本を与えることにお金を惜しまず
「私の育て方が良かったというより、本人の持って生まれた資質や学校の先生、友人のおかげではないでしょうか。『勉強しなさい』と言ったことはありませんので」
謙虚にこう言った晴代さん。確かに、ウィッキーさんは東京大学大学院で博士号を取得した秀才。晴代さんも女子の大学進学率が数パーセントという時代に、跡見学園女子短大で学んだ勉強家。ガネシュさんは両親の遺伝子を受け継いでいるのだろう。しかし、地頭が良いだけではない。
「私は9人きょうだいの7番目。実家は裕福ではありませんでしたが、ありがたいことに、『塩水を飲んででも、子の望む教育は受けさせてやる』という両親でした」
そんな晴代さんとウィッキーさん夫婦は“子どもには最善の環境を”という考えで一致。何より、本を与えることにお金を惜しまなかった。
「主人のお母様は教師で、実家には本がたくさんありました。私の両親も本好きで家には本がたくさんあり、私も幼い頃から本はよく読んでいます。だから、ガネシュは本に囲まれて育ったのです」
幼い頃のガネシュさんの本代は、月1万円にもなったという。
「朝起きたら、すぐに『読んで』と絵本を持ってくる子で、私も主人も、同じ本を何十回も読まされました。とくに、『花さき山』という絵本が好きでした。
文字を覚えるのも早く、2歳の頃には目に入った文字を、何でも声に出して読みあげていました。あるとき、駅のホームで、目に入ったお店の看板に『ポルノ』と書いてあるのを大きな声に出して読み、私に『どういう意味?』と聞くので、恥ずかしかったことがありました(笑)」
地元幼稚園には受け入れてもらえず…
ガネシュさんは青山学院幼稚園、小学校からは慶應義塾へ。“お受験”に熱心だったのだろうか。
「いえ、地元の2つの幼稚園に受け入れていただけず、すがる思いで青山を受験しました。だから、お受験のための塾には通っていないんです」
地元の幼稚園が受け入れを拒否したのは、差別が理由だと感じたという。
「ガネシュが幼い頃、彼の手を引いて街を歩いていて、親子連れとすれ違うと『黒ンボ』『ガイジン』などとよく言われましたから。私はガネシュに『あの子は、世界にはいろんな人がいることを知らないのよ』と言い聞かせていました。幼稚園受験のときは、ガネシュは私と主人の悩む会話を聞きながら、思うところがあったのでしょう。『僕、がんばるからね』と言って、面接会場に入っていきました。無事に幼稚園に入ってからも、仲良くしてくれる子もいれば、いじめる子も。そんな環境で育ちましたから、ガネシュは早くしっかりしたのではないか、と思います」
ときに級友とケンカになった。すると、学校の先生は世界地図を広げスリランカの位置を示しながら、世界は広く、さまざまな人種がいることを子どもたちに学ばせ、差別やいじめの解消に努めてくれたそうだ。
「ときどきテレビで報じられていますが、いじめ自殺があっても、学校の先生は『いじめは認められなかった』などと否定しますよね。まずは先生方が問題を認め、正面から向き合わないと、いじめはなくならないのではないでしょうか」
ガネシュさんは級友らにもまれながらも、次第に良い友人に恵まれ、学校にしっかり通った。放課後は担任の先生や級友と身体を動かし、帰宅後は読書。ほかに、晴代さんの趣味だった楽器・マリンバ(木琴の一種)や、スキューバダイビングなど、音楽やスポーツにも挑戦し親しんだ。
「慶應はエスカレーター式で大学まで進学でき受験がなかったおかげで、勉強以外のことを楽しむ余裕がもてました。ガネシュには合っていましたね。受験があるからこそ勉強する、という子もいると思いますので、誰にとっても受験がないほうがいい、とは思いませんけれど」
ガネシュさんは普段は「ボーッとしていることも多かった」とか。
「親戚から、よくそう言ってイジられていました(笑)。ただ、観察力や記憶力が良かったので、おそらく何も考えずにボーッとしていたのではなく、周囲をよく観察し、目の前で何が起きているのかを考え、記憶していたのだと思います。私は『何をボーッとしているの』『早くしなさい』と叱ったり、急かしたりはしませんでした。むしろ、よく褒めていました」
晴代さんが勧めた習い事とは
ガネシュさんが優秀とはいえ、将来、日本で会社員など組織の一員になって仕事をするにはハンディがあると考えた晴代さんは、ガネシュさんに広い視野をもたせようと、幼い頃から積極的に海外へ連れて行った。
「スリランカはもちろん米国、スイス、モナコなど地中海沿岸諸国、インド……中学1年になると本人の意志で、夏休みに米国のサマースクールへ、高校1年の夏休みにはスイスへ単身で渡り、語学を勉強していました。将来は医者になるためにひと足早くドイツ語を学ぼうと考えたようで、スイスでは語学学校と個人レッスンで、ドイツ語漬けの毎日を送っていました」
慶應はエスカレーター式とはいえ、医学部へ進学できるのはほんのひと握りの成績優秀者だけ。ガネシュさんは塾に通わなくとも、中・高と総代で卒業。志望通り、大学は医学部へ進学した。
「私の両親が『将来は人の役に立つ仕事についてほしい』と、よく言っていたので、本人もいつの間にか医者か国際法弁護士か、と思うようになっていたようです。
私は親族に教師が多いので、教師にでもなるのかなあ、と思っていたくらい。ただ、どんな仕事をするにせよ、人前で滑舌良くしっかりと伝わる話し方を身につけることは大事だと考え、ガネシュが高校生のとき、ボイストレーニングに通わせました」
唯一、晴代さんが勧めた習い事だったという。
「テレビに立派な先生や役者さんが出ても、何をおっしゃっているのか、分かりにくいことがありますね。それでは、せっかく良いものを持っていてもいかされない、もったいない、と思ったんです」
米国で成功するには、スピーチ力が重要。慶大医学部も総代で卒業後、教授らの推薦でハーバードへ留学したガネシュさん。米国でも力を発揮できたのは、やはり母・晴代さんの導きが根本にあったのだ。
(取材・文=中野裕子/ライター)
▽持田晴代(もちだ・はるよ) 1940年、東京・北区滝野川生まれ。跡見学園短期大学生活芸術科卒業後、英文タイピストに。働きながら英語を習い、69年、講師だったアントン・ウィッキー氏と結婚し、長男・ガネシュワラン仁司さん出産。



















