キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<1>16歳で米国へ 転機に
「最初のきっかけは、父親が自宅に連れてきたジョンさんでした。中学生だった私に、ジョンさんは英語で話してきたのです。自分の英語が伝わらないことに、ショックと新鮮さとを覚えました」
西海枝毅は、1969年6月生まれ。東京都世田谷区の出身。最寄り駅は京王線の千歳烏山だった。父親は水産会社に勤めるサラリーマン。外国人を連れてきたのは、仕事の関係だったようだ。
放課後は部活のバスケットで汗を流す、どこにでもいる普通の中学生が初めて経験する不思議な感覚だった。「何か行動しなければ」。日常にはなかった“生きた英語”に触れ、心が無性にザワつくようになる。
尾崎豊が「卒業」を発表した1985年。都立高校に進学するが、ザワつきはおさまらない。文科省(当時は文部省)が支援していたアメリカとの交換留学制度に挑戦する。筆記だけでなく、英語での面接試験もあった。自信はなかったが、何とか合格した。
「留学が僕の人生の転機となりました。高1の夏、16歳でした」
交換留学は、日本の文化を伝える一方、アメリカの文化を日本に持って帰るのが役割。ホストファミリーは、デトロイト郊外に在住。父は小学校の先生で、母は福祉学級のやはり教員だった。大学生の長男が1人いたが、既に大学の寮に入っていた。なので、西海枝は一人っ子のように、新しい両親からかわいがってもらう。