1988年に寮から失踪したもう1人の厚生技官
プルトニウム製造係長 竹村達也さん
1972(昭和47)年、茨城県東海村の動燃(現・日本原子力研究開発機構)で働く科学者・竹村達也が失踪した。大阪大学工学部を卒業し、米アルゴンヌ国立研究所にも留学、帰国後はプルトニウム製造係長も務めていたエリートだ。その後、竹村の名前は警察庁の拉致関連リストに登場する。
本連載を始めてから、日刊ゲンダイとワセダクロニクルには続々と北朝鮮による拉致問題の情報が寄せられている。
例えば、第26回「リストに掲載された『ロボット』『工作機械』の人材」を掲載後、こんな情報提供があった。
「取材記事の中に(ロボット制御を学んだ)河嶋さん、(精密工作機械メーカーに勤めていた)矢倉さんを挙げて下さいましたが、もうひとり、1988年に石坂孝さん(当時29歳)という方が失踪されています」
■化学物質の研究調査を担当
「彼は、厚生技官で世田谷の寮から失踪しています。国立衛生試験所食品部勤務でした。この研究所では、『医薬品や食品のほか、生活環境中に存在する多くの化学物質について、その品質、安全性及び有効性を正しく評価するための試験・研究や調査』をしているとのことです」