五輪メダリストの上野順恵が全柔連に“最後っ屁”
「もっと先生(指導者)と選手の関係が良ければいいなと思います」――。
ロンドン五輪柔道女子63キロ級銅メダルの上野順恵(30=三井住友海上)が、一連の不祥事に揺れた柔道界についてこう話した。
12日、同社の世田谷道場で引退会見を行い「周りからは現役を続けろという声が多かったので、惜しまれながら引退したいと思った」と笑顔で話した。今後は同社女子柔道部のコーチに就任する。
姉の雅恵さん(34=同社コーチ)は70キロ級でアテネ、北京五輪を連覇。レスリングの伊調姉妹のように、早くから姉妹でのメダル取りを期待されながら、妹の順恵は不可解な選考基準にも泣かされ、五輪出場はロンドンまで待たなければならなかった。中でも08年は国際大会で結果を残し、北京五輪選考会を兼ねた選抜体重別選手権で優勝。当時の全日本柔道連盟(全柔連)強化委員会は「上野には一本勝ちできる技がない」と判断し、上野に決勝で敗れた谷本歩実を代表に選んだ。
まさかの落選で一時は引退も考えたそうだが、翌年の世界選手権(オランダ・ロッテルダム)では得意の大外刈りで5試合全て一本勝ちして金メダルを獲得。谷本は北京で金メダルを獲得したとはいえ、「一本勝ちできない」との強化委員会の判断が間違いだったことを自ら証明。代表落ちの鬱憤(うっぷん)を晴らしただけに、上野が09年の世界選手権を「一番の思い出」として挙げたのは当然だろう。