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鈴木明子プロスケーター、振付師

 1985年3月28日、愛知県生まれ。6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位。東北福祉大に進学後、一時、摂食障害を患い休養。04年に復帰。10年バンクーバー五輪初出場。13年全日本選手権初優勝。14年ソチ五輪出場。14年3月の世界選手権を最後に現役引退。以後はプロスケーターとして活躍。15年には本郷理華のショートプラグラムで振付師としてデビューした。

<第11回>地元のリンクが閉鎖され往復3時間の「名古屋通い」が始まった

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連載鈴木明子 スケート人生「キス&クライ」

 6歳から地元・豊橋市で本格的にフィギュアスケートを始めたのですが、1年もしないうちに通っていたリンクが閉鎖されることになってしまいました。せっかく始めたフィギュア。地元にリンクがなければ「習い事」はできません。両親はリンクの閉鎖時点でスケートをやめさせることも考えていた。でも、私の思いは逆でした。

 当時、通っていた地元のリンクは冬季だけの限定営業。夏場はプールになるため、フィギュア仲間だった上級生のお姉さんたちは、夏場になると名古屋のリンクに通っていました。その姿を見ていた私は、自然と「スケートというのは遠くのリンクに通うのが当たり前」という意識が芽生え、「自分も上級生のように通うべき」と考えていたのです。

 母に思いを伝え、上級生とともに冬場は豊橋に近い浜松のリンク、夏場は名古屋のリンクに週に4、5回、電車で通う生活が始まりました。

 こうした苦労が実ったのでしょうか。小学3年のころには、県の大会で何度か表彰台に上るまでに成長していました。当時、通っていた名古屋のリンクでは、フィギュアスケート・プロインストラクターの荻野正子先生(67)が指導されていました。厳しいながら的確なアドバイスを下さる先生に引かれ、教えを受ければ受けるほど、表現力やジャンプの技術が向上していきました。自分の成長を実感すると素直にうれしい。そのうれしさがやる気になる。そんな心境になったのでしょう。毎日でもリンクを滑りたいという気持ちが湧いてきました。

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