著者のコラム一覧
元川悦子サッカージャーナリスト

1967年7月14日生まれ。長野県松本市出身。業界紙、夕刊紙を経て94年にフリーランス。著作に「U―22」「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年 (SJ sports)」「「いじらない」育て方~親とコーチが語る遠藤保仁」「僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」など。

欧州組50人で代表強化は困難に…協会が抱える多くの課題

公開日: 更新日:

 欧州主要リーグでプレーする日本人選手が約50人もいる時代が到来し、難しくなったのが代表強化だ。6月の親善試合でも27人中18人が海外組で占められ、今後はさらに比率が上がるだろう。森保ジャパンは9月から2022年カタールW杯アジア2次予選に挑むが、5日のパラグアイ戦(茨城)から10日のミャンマー戦(ヤンゴン)と“三角移動”を強いられる選手も多くなる。選手の状態把握やアウェーでの調整を含めて策を練っていく必要がある。

 1998年フランスW杯初出場時は0人、2002年日韓大会は4人、06年ドイツ大会が6人、10年南アフリカ大会が4人。この頃までは日本代表における海外組は、あくまで少数派だった。Jリーグの中断期間などに国内合宿が組まれることもあり、代表強化はそこまで困難ではなかった。問題が深刻化したのは10年以降。欧州に出ていく選手が急増し、国際Aマッチウイーク以外は選手を招集できなくなったからだ。

 それでもザックジャパン時代は主力が固定されていたから、代表スタッフは本田圭佑香川真司(サラゴサ)ら数人を定期的に視察するだけで済んだ。当時、若手だった清武弘嗣(C大阪)や酒井宏樹(マルセイユ)ら12年ロンドン世代も五輪が終わるまではJリーグでプレーしており、情報収集は容易だった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは

  4. 4

    柳田悠岐の戦線復帰に球団内外で「微妙な温度差」…ソフトBは決して歓迎ムードだけじゃない

  5. 5

    女子学院から東大文Ⅲに進んだ膳場貴子が“進振り”で医学部を目指したナゾ

  1. 6

    大阪万博“唯一の目玉”水上ショーもはや再開不能…レジオネラ菌が指針値の20倍から約50倍に!

  2. 7

    ローラの「田植え」素足だけでないもう1つのトバッチリ…“パソナ案件”ジローラモと同列扱いに

  3. 8

    ヤクルト高津監督「途中休養Xデー」が話題だが…球団関係者から聞こえる「意外な展望」

  4. 9

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  5. 10

    備蓄米報道でも連日登場…スーパー「アキダイ」はなぜテレビ局から重宝される?