先達への敬意なし…マラソンの不振はケニアのせいじゃない
ロザ・モタが12月7日の奈良マラソンに来日した。1987年世界選手権、88年ソウル五輪の金メダリスト、かつての女子マラソンの女王だ。東京や大阪でも優勝し、パンチ佐藤がギャグに使ったほど知名度もあった。
10年ぶりの来日で、前回はマラソンではなく、オリンピック招致の仕事だった。母国のポルトガルは、ブラジルの旧宗主国にもかかわらず、モタは前回大会のオリンピック招致では、リオデジャネイロではなく、東京に協力した。リオに軍配が上がったが、理由はマラソンだ。
ヨーロッパ、特に保守的だったポルトガルで、まして女子マラソンは見向きもされなかった。女子マラソンが選手権大会に採用されたのは82年アテネの欧州選手権から。モタが出場を希望しても陸連は派遣せず、コーチの夫と車で3日かけて出掛け優勝した。
■東京の五輪招致に協力の理由