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西村徳文野球解説者

1960年1月9日、宮崎県生まれ。右投げ両打ち。福島高(宮崎)、国鉄鹿児島鉄道管理局を経て、81年ドラフト5位でロッテ入団。プロ通算16年で首位打者1回、盗塁王4回。二塁と外野でそれぞれベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。97年現役引退後、ロッテでヘッドコーチなどを歴任し2010年監督就任。1年目にリーグ3位から日本一を達成した。16年からオリックスでヘッドコーチ、19年から監督を務め、昨季限りで退団。

右手骨折で強行出場 4年連続で獲得した盗塁王への思い入れ

公開日: 更新日:

 右手有鉤骨骨折が完治しないまま、有藤通世監督の鶴の一声で一軍へ緊急昇格した私は、復帰戦となった西武戦で3安打1盗塁をマーク。翌日の同戦でも、1安打1盗塁とチームの連勝に貢献することができた。

 こんな状態でも意外と打てるもんだなと思ったりもしたが、右手はスイングするたびに痛みが走った。10キロ台まで低下した握力を取り戻すべく、自宅や球場ではバケツに入れた生米を握ったりもした。

 徐々に痛みがなくなり、握力も戻っていったが、本当に気にならなくなったのはシーズン終了後だった。

 今となっては、無理をしてでも使ってくれた有藤さんに感謝している。この1989年は、96試合出場にとどまったものの、規定打席に到達。42盗塁で4年連続の盗塁王のタイトルを獲得することができたからだ。

 当時は黄金時代を築いていた西武の辻発彦さんや、秋山幸二をはじめとするライバルが多かった。少しでも復帰が遅れていればタイトルは取れなかったかもしれない。

 私の最大の武器は足の速さ。だから、盗塁王には思い入れが強かった。初めてタイトルをとった86年は、足が壊れてもいいというくらいの気持ちでプレーした。

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