著者のコラム一覧
西村徳文野球解説者

1960年1月9日、宮崎県生まれ。右投げ両打ち。福島高(宮崎)、国鉄鹿児島鉄道管理局を経て、81年ドラフト5位でロッテ入団。プロ通算16年で首位打者1回、盗塁王4回。二塁と外野でそれぞれベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。97年現役引退後、ロッテでヘッドコーチなどを歴任し2010年監督就任。1年目にリーグ3位から日本一を達成した。16年からオリックスでヘッドコーチ、19年から監督を務め、昨季限りで退団。

有藤さんの突発的な一軍復帰指令に目玉が飛び出るほど驚く

公開日: 更新日:

「ニシ、今日から行くぞ!」

「えっ? どこへ行くんですか?」

「バカ、ゲームに出るんだよ!」

 右手有鉤骨骨折でリハビリをしていた私は1989年5月27日、監督である有藤通世さんの鶴の一声で急きょ、一軍に昇格。その日の西武戦(川崎球場)からスタメン出場することになった。

 丸々2カ月、まともに練習すら出来なかった上に、いきなりの一軍の試合への出場指令。「分かりました」と、監督室を後にしたものの、目玉が飛び出るくらい驚いた。

 行け、と言われてノーとは言えない。こうした有藤さんの突発的な指令への“免疫”は少なからずあった。

■39度の高熱でも紅白戦出場

 骨折してからもオープン戦は一軍に帯同し続け、ギプスを着けたまま代走で出場した。当初は開幕以降もベンチ入りさせるつもりだったと聞いた。

 ある年のキャンプでの紅白戦、私は39度以上の高熱を出した。「今日は休んどけ」とトレーナーから言われ、部屋で寝込んでいた。しばらくしてそのトレーナーが私の部屋にすっ飛んできて、「監督が今からグラウンドに出てこいと言ってるから、急いで着替えてくれ」と言われ、大慌てで球場へ向かった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは

  4. 4

    柳田悠岐の戦線復帰に球団内外で「微妙な温度差」…ソフトBは決して歓迎ムードだけじゃない

  5. 5

    女子学院から東大文Ⅲに進んだ膳場貴子が“進振り”で医学部を目指したナゾ

  1. 6

    大阪万博“唯一の目玉”水上ショーもはや再開不能…レジオネラ菌が指針値の20倍から約50倍に!

  2. 7

    ローラの「田植え」素足だけでないもう1つのトバッチリ…“パソナ案件”ジローラモと同列扱いに

  3. 8

    ヤクルト高津監督「途中休養Xデー」が話題だが…球団関係者から聞こえる「意外な展望」

  4. 9

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  5. 10

    備蓄米報道でも連日登場…スーパー「アキダイ」はなぜテレビ局から重宝される?