著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

1984年ロス五輪はエポックメーキングな大会だった

公開日: 更新日:

 しかしロス五輪は①テレビ放映権を高額に設定②大会スポンサーを1業種1社に絞ることでスポンサー料を値上げ③不人気競技と人気競技のチケットの抱き合わせ販売によるチケットの収入増④マスコット「イーグルサム」など記念グッズの販売という4本柱を打ち立て、開催都市ロサンゼルス市の税金を使わないで大会を開催した。

 そういえば、アメリカはチップの国でもあったが、各国記者が仕事をするワーキングルームでタバコを吸おうと灰皿を要求した際、それにもお金が要求されるほど収益増が徹底された。

 1984年当時の日本サッカーは、指揮官に切り札と言われた森孝慈氏(故人)を起用し、メキシコW杯最終予選前の1月に対戦したブラジルの名門コリンチャンスに2勝1敗と勝ち越すなど期待は高まっていた。前線には「アジアの核弾頭」と言われた原博実(現Jリーグ副チェアマン)とキープ力に長けた柱谷幸一がいた。中盤には金田喜稔、木村和司、水沼貴史らのテクニシャンが揃い、守備陣はベテランGK田口光久(故人)、キャプテンシーに秀でた加藤久(現京都GM)らが固めていた。しかしシンガポールで行われた最終予選では、初戦のタイに2-5と惨敗するとマレーシア、イラク、カタール相手に1-2。4連敗で五輪出場の夢は儚く消えた。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希の心の瑕疵…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸びない」

  2. 2

    ドジャース「佐々木朗希放出」に現実味…2年連続サイ・ヤング賞左腕スクーバル獲得のトレード要員へ

  3. 3

    ドジャース大谷翔平32歳「今がピーク説」の不穏…来季以降は一気に下降線をたどる可能性も

  4. 4

    ギャラから解析する“TOKIOの絆” 国分太一コンプラ違反疑惑に松岡昌宏も城島茂も「共闘」

  5. 5

    巨人が李承燁コーチ就任を発表も…OBが「チグハグ」とクビを傾げるFA松本剛獲得の矛盾

  1. 6

    国分太一問題で日テレの「城島&松岡に謝罪」に関係者が抱いた“違和感”

  2. 7

    今度は横山裕が全治2カ月のケガ…元TOKIO松岡昌宏も指摘「テレビ局こそコンプラ違反の温床」という闇の深度

  3. 8

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  4. 9

    ドジャース首脳陣がシビアに評価する「大谷翔平の限界」…WBCから投打フル回転だと“ガス欠”確実

  5. 10

    大谷翔平のWBC二刀流実現は絶望的か…侍J首脳陣が恐れる過保護なドジャースからの「ホットライン」