掛布雅之さん語る「プロ4年目 初打席」の記憶 伝説のバックスクリーン3連発より鮮烈な瞬間

公開日: 更新日:

掛布雅之さん(元プロ野球選手、解説者/66歳)

 野球解説やテレビでおなじみの元阪神の不動の4番、掛布雅之さん。今でも思い出す試合は1985年の優勝を決めた試合でも伝説のバックスクリーン3連発でもなく、プロ入り4年目の開幕戦で放った満塁ホームラン。その日の鮮烈な思い出と著書「阪神・四番の条件 タイガースはなぜ優勝できないのか」でも語っている今年の阪神の4番についてもうかがった。

 ◇  ◇  ◇

 プロ入り3年目は初めて3割を打てたことで本当のプロの選手として野球ができた一年だったんですね。だから、77年の新しいシーズンに入るのがとてつもなく怖かったんですよ。

 21歳であの数字(打率.325、本塁打27本)を残して、マスコミにもファンにも注目していただけた自分が来年も同じような数字を残せるのか? と不安でした。

 1年間だけの実績なんてたかが知れてますから。本当に阪神のサードのレギュラーを掴むにはあと1~2年はいい成績を残さなければならない。そう思い、野球の本当の怖さを感じたんです。

■来年も打てるかと思ったら「紅白歌合戦」が終わらないでほしかった

 だから、3割を打てた年が終わるのがイヤでしたね。大晦日の「紅白歌合戦」がずっと終わらないでほしかったくらい(笑い)。年明けからキャンプもずっと怖いと感じていました。

 3年目は打順が8番スタートでおもに7、8番を打ち、4番以外はすべて打ったんじゃないかな。そして4年目の開幕戦は6番スタート。神宮球場のヤクルト戦でした。初打席を迎えるのが怖くて。そしたら、一回表に2アウト満塁で初打席が回ってきちゃった。打席に行くのがイヤでしたよ。

いろんな意味合いのある一打席

 開幕投手は当時、バリバリのエースの松岡弘さん。はっきり覚えていますが、カウント2-2からの真っすぐを打ち、満塁ホームランでした。

 打った瞬間、「入った!」とわかりました。とんでもない弾丸ライナーでライトスタンドの中段に飛び込んだと思います。

 初回の大量点もあって試合に勝ちました。のちにヤクルトの広岡監督がたしか「掛布の満塁ホームランは計算になかった。あの1発が1カ月間響いた」というように話されていた記事を見たんです。開幕戦の立ち上がりですから、5番打者と勝負するよりも次の4年目の若造と勝負しようという思惑がベンチにはあったんだと思うんです。

 僕としてはプロ野球選手としてやっていけるかどうかなど、いろんな意味合いのある一打席だった。このホームランは記憶に大きく残った一本でもあり、大切にしなければいけない一本でしたね。

 ベンチに戻って手荒い祝福を受けた後からは野球の怖さが大きくなりましたよ。もっと期待されるわけですから。自信にもなり、怖さも膨らんだ瞬間でした。

山内一弘コーチと吉田義男監督に感謝

 3割を3年目、4年目(.331)と打てることにつながったのはバッティングコーチの山内一弘さんとの出会いが大きかった。山内さんは「趣味がコーチ」というくらい教えるのが好きな方。教えだしたらやめられない止まらないから「かっぱえびせん」というニックネームがついたほど。僕の2~3年目、合宿所に泊まられていましたので毎日教えていただきました。

 僕が屋上で素振りをしていると1時間後くらいに必ず屋上に上がってこられる。「こうやって振りなさい」と教わってもまだ頭で理解できないから、いろんな振り方、いろんな体の使い方をやらされましたよ。頭ではなく体に染み込ませて覚えさせてくれたんでしょうね。それが4年目の開幕初打席のホームランにつながる。

 同時期に吉田(義男)監督が僕をサードに固定して使ってくれたことも大きかった。そういう意味では指導者との出会いに恵まれていたんでしょうね。

 4年目は6番に始まり3番が増えました。でも4番になれるタイプではないから、4番を打つと意識したことはまったくなかった。ただ3番を打つ時に4番の田淵さんの存在感の大きさは感じていました。後ろに田淵さんがいると思うと楽でしたし、だからこそ僕は3割打てたんです。

 田淵さんが西武に移籍して僕が4番を打つようになり、重責を感じました。85年の優勝の年、シーズンが終わるとバースが「掛布がいたから三冠王がとれた。来年も掛布の前(3番)を打たせてくれ」と言い残して帰国したと聞いたんです。これはすごくうれしかった。

 今年、阪神は4番を固定して戦ってほしいですね。大山悠輔か佐藤輝明かのどちらかだと思います。ヤクルトの村上、巨人の岡本との4番同士のタイトル争いもプロ野球の楽しみのひとつ。大山と佐藤の4番争いが今年の阪神のカギを握る。村上と岡本同様、2人ともサードを守れますからね。

(聞き手=松野大介)

▽掛布雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月、千葉県出身。74年阪神タイガース入団。本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン7回。88年に現役引退。


阪神・四番の条件 タイガースはなぜ優勝できないのか

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    永野芽郁は疑惑晴れずも日曜劇場「キャスター」降板回避か…田中圭・妻の出方次第という見方も

  2. 2

    紗栄子にあって工藤静香にないものとは? 道休蓮vsKōki,「親の七光」モデルデビューが明暗分かれたワケ

  3. 3

    「高島屋」の営業利益が過去最高を更新…百貨店衰退期に“独り勝ち”が続く背景

  4. 4

    「たばこ吸ってもいいですか」…新規大会主催者・前澤友作氏に問い合わせて一喝された国内男子ツアーの時代錯誤

  5. 5

    かつて控えだった同級生は、わずか27歳でなぜPL学園監督になれたのか

  1. 6

    永野芽郁×田中圭「不倫疑惑」騒動でダメージが大きいのはどっちだ?

  2. 7

    佐々木朗希「スライダー頼み」に限界迫る…ドジャースが見込んだフォークと速球は使い物にならず

  3. 8

    第3の男?イケメン俳優が永野芽郁の"不倫記事"をリポストして物議…終わらない騒動

  4. 9

    風そよぐ三浦半島 海辺散歩で「釣る」「食べる」「買う」

  5. 10

    永野芽郁がANNで“二股不倫”騒動を謝罪も、清純派イメージ崩壊危機…蒸し返される過去の奔放すぎる行状