さとう宗幸さん(2)今よりずっと厳しかったシングルへの道 「9」になった時は本当に嬉しかった

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さとう宗幸さん(歌手/俳優)

「仕事から解放されるのがいいですよね」(写真)清流舎

 ハンディが減ったのは32歳、33歳の頃。「青葉城恋唄」のデビューから4年くらい経って、TBSの「2年B組仙八先生」というドラマをやった年からですね。

 あの頃、TBSのスタジオは赤坂にあって、Gスタという一番大きいスタジオで教室シーンなどを全部撮っていました。そのすぐそばに、TBSゴルフガーデンという練習場があったのです。

 仙八先生は主役でありながらも、一日の間に1時間とか1時間半ぐらい「ポッ」と撮影が空くことがありました。「何もやることないしな」と言いつつ、よくその練習場に行ったわけです。当時も仙台に住んでいましたが、週の4日間は東京で生活していたため、都内に小さなマンションを借りていました。

「2年B組仙八先生」はリハーサル、稽古、ロケのほかスタジオのセットで撮影というスケジュールでした。その頃の僕は車の免許を持っていなくて、仙台の若い運転手さんに付いてもらっていて、毎週ロケが夜中に終わるとそのまま、すぐ車で仙台に帰っていました。

 仙台に着くのが朝の6時か7時。そのまま泉国際ゴルフ倶楽部で仲間とゴルフをして、それから家に帰るんです。だから「家に電話して宗幸さんがいなかったら、いずこく(泉国際の略)さんに電話すればいい」というのが合言葉になるくらい、あの頃にはゴルフに夢中になっていました。

 1年間の「2年B組仙八先生」が終わった翌年に免許を取得。これでもう、一番夢中になってゴルフをやった時ですね。その1年間でシングルになったんですよ。

 今はゴルファーの底辺を広げようとか、いろんな理由でハンディキャップが甘くなっていますよね。プライベートのスコアカードを出せばOK。でも、あの頃のハンディキャップ委員っていうのは、本当に厳しかった。プライベートのカードは意味がなくて、月例とか競技のスコアが重視されていました。しかも、スコアは良くても、 

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