仁志敏久の人生を変えた「居酒屋堀内」での夜…「また野球が好きになれると思った」
1番に戻った仁志はこの年、自己最多の28本塁打を記録。打率は.289、リーグトップの106得点をマークした。
しかし、チームは3位に低迷。堀内巨人は翌05年も苦しい戦いが続く。開幕ダッシュに失敗すると、5月には早くも堀内監督の進退問題がマスコミを賑わせ、起用法に不満を持つ清原(和博=現評論家)と首脳陣の確執も表面化。野球以外のことにスポットが当たり、巨人はあわや最下位となる5位に沈没した。
低迷の責任を取って、堀内が辞任。後任には原監督の復帰が決まった。(敬称略)
▽1971年10月4日、茨城県生まれ。1年生からレギュラーを張った常総学院では3年連続で夏の甲子園に出場し、準優勝1回。早大、日本生命とアマ球界のエリートコースを歩み、95年のドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。強打好守の二塁手として新人王、4度のゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍した。06年オフに横浜に移籍し、09年限りで退団。米独立リーグ、アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーしていた今年6月に現役を引退した。日本での通算成績は14年で1587試合に出場して1591安打(打率.268)、541打点、154本塁打。
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