1000円の小遣いでも嬉しかったほど安月給でも、「カネはない」など口が裂けても言えなかった
二軍は遠征先への移動も過酷だった。名古屋から大阪まではバス移動が当たり前。広島遠征時こそ新幹線だったものの、荷物専用車がなく、選手自ら野球バッグ、スーツケース、バットケースを持って乗車する。大量の荷物は荷物置きには収まらず、デッキに置かざるを得ない。人が通るたびに荷物をどけるから、席には全く座れなかった。他の乗客にとっては、迷惑だったに違いない。
そんな中、ささやかな喜びになっていたのが夜食のおつかいだった。ホテル竹園の近くには当時、ハンバーガーのチェーン店があり、たびたび先輩に夜食を買いに行かされた。人によっては、1万円を渡されて1000円くらいおつりが出ると「取っといてええぞ」と言ってくれる人もいて、そのときは心の中でニンマリ。安月給だったからお小遣いさえもうれしかった。
活躍いかんにかかわらず年功序列がプロ野球界の掟。高卒だろうが大卒だろうが、年齢が上ならば先輩になる。3年目で一軍デビューしたばかりの俺も、食事に行けば新しく入ってきたルーキーにごちそうするのが当たり前だった。
給料は安いが、「カネはない」なんてカッコ悪いことは口が裂けても言えない。寂しいかな、後輩から食事に誘われると、「ちょっと用事があるから」とごまかすしかなかった。