横浜とのFA交渉で引っ掛かった森祇晶監督の冷淡 落合博満さんは非通知着信で「探り」を入れてきた
落合さんとはプロ1年目の春季キャンプで同部屋になったが、特に話すこともなく、可愛がられることもなく、「部屋子」として雑用やお使いをさせられていた。毎晩のように球団の専属広報とブランデーを酌み交わし、俺はその晩酌が終わるまで部屋に戻れなかった。部屋の明かりが消えるのを見計らってからそっとドアを開け、自分の布団にもぐりこんだ。
1998年に現役を引退した落合さんは、01年2月のキャンプで横浜の臨時コーチを務めていた。その流れで探りを入れてきたのだろう。とてもじゃないが、自分の意思で電話をかけてきたとは思えなかった。新人時代はむげに扱われ、その後もロクに話したことがなかったからだ。
いくら大先輩とはいえ、なぜそんな大事なことを明かさなきゃいけないのか。
「落合さんには関係ないんじゃないですか」
そっけないやりとりをして、すぐに電話を切った。落合さんと話したのは、今もその一度キリだ。
横浜とのテーブルについてから1週間後、中日と4回目の残留交渉は中日ビル内の「クラブ東海」で始まった。


















