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羽川豊プロゴルファー

1957年栃木県出身。79年日本学生ゴルフ選手権優勝。翌80年にプロテストに合格すると、ルーキーイヤーの81年は日本オープン、日本シリーズに優勝。同年代の湯原信光、倉本昌弘とともに「ニューウェーブ三羽烏」と呼ばれた。82年にはメジャーのマスターズから招待され、初出場で15位。「世界最強レフティー」と絶賛された。現在はシニアツアーでプレー。テレビ解説者としても活躍している。

大スランプで実感したジャンボ尾崎の教え

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 永眠したジャンボには、見抜かれていたのでしょう。

 プロ2年目の1981年。私は日本オープンに優勝し、日本シリーズでは青木功さんにプレーオフで勝利。翌82年はマスターズにも出場しました。ところが、83年の東北クラシックを最後に勝てなくなりました。ドライバーが曲がり出し、いつしか恐怖心を抱くようになってしまったのです。

 ある日、10歳上の兄貴分だったジャンボに相談に行くと、「4年も苦しんできたなら、4年かけて戻したらいいじゃないか。オフに体づくりに来い」と言われ、85年からジャンボ軍団のオフのトレーニングに参加させてもらいました。当時、「習志野御殿」と言われたジャンボの自宅(千葉)に9時に集合。自宅近くを3時間走ってから昼食です。

 午後は広い庭で、利き腕ではない方を強化する「ハゴミントン」(バドミントンの変形)。負けたらスクワット30回の罰が待っている。さらに短いクラブでの片手打ちや、砂の上からの打ち込みの他、ジャンボのノックで左右に振られたボールをグラブで捕るトレーニング。これもミスしたときの罰はスクワット20回です。私は中学まで野球をやっていたし、足も速かった。体力にもそこそこ自信がありました。この程度のノックは簡単に捕れると思っていたのですが、初球はまさかのトンネル。次の打球も腰高で捕れず、体力の衰えを痛感しました。

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