ケンカ別れした伊原監督から“まさかの誘い”も「何を今さら」と断った
オリックスでは伊原春樹監督と何度も衝突し、気付けば野球が大嫌いになっていた。
2004年9月5日、チームが最下位を独走する中、二軍行きを命じられ、その理由を聞きに行くと、「使えねえ、いらねえんだよ」と吐き捨てられてプッツン。サラリーマンが社長にキレたらクビになる。それくらいのことは分かっていた。
「どうせやめるんだから何を言ってもいい」
すっかり自暴自棄になっていた。
「もう野球をやめよう」と心を決め、二軍落ち直後にロッカーの荷物をまとめた。ファームでは練習にこそ出ていたものの、試合にはほとんど出ていなかった。この年の後期、オリックスのファームチーム(00~05年「サーパス神戸」というチーム名で活動)は優勝争いをしていた(結果は3位)が、自分の中ですでにシーズン終了。「職場放棄」の状態だった。
このころ、プロ野球界は6月ごろから表面化した球界再編問題の話題で持ち切りだった。9月8日、オリックスと近鉄の合併が決まるも、18日に選手会がプロ野球史上初のストライキを決行。ゴタゴタが続いた。


















