ラモス瑠偉さん「自信を持って楽しめばW杯V狙える」伝説の司令塔が明かす森保監督の素顔と日本サッカーへの提言
怒鳴ってもパスを出さない信念の男
──森保監督というのはどのようなタイプの選手だったのでしょうか? いつか監督として活躍する予感はありましたか?
アプローチが速いマツダ(現広島)の選手というイメージがあったような……。でも代表に入ってくるまでよく知らない選手だった。それが一緒にプレーして驚いた。中盤の広いエリアをカバーしながら相手の攻撃の芽をつぶし、マイボールにすると左右両サイドにボールを的確に散らしていく。ポジショニングも良かったし、とにかくチームのために献身的にプレーできる男だった。森保は、オフト監督の「(ボランチの位置で)ボールを奪われるな。そこからカウンターを仕掛けられる」という指示に忠実だった。いくら「パスを出せ!」と大声で叫んでも聞こえないふりをしていた。でも、いつもいつもパスを要求していたわけじゃない。「今、ボールが足元に入ったらシュートまでいける」と先の先までプレーの映像が脳裏に浮かぶことがある。見えているものが違うからね。その時にボールを寄こさないと「なぜ出さない!」と大声を出してしまう。でも、森保は大したものだった。どんなに怒鳴られても平気な顔をしてプレーしていたからね。森保は、W杯に行けなかったドーハ組全員の無念も忘れないでいてくれる。思いやりがあって優しい男だからね。
──日本のサッカーファンにひと言。
とにかく森保ジャパンを「応援しましょう」ということ。92年に広島で開催されたアジアカップは、勝ち進むことでお客さんが増えて、そして決勝のサウジアラビア戦は6万人もの大観衆で埋まった。もの凄い応援に背中を押されて優勝できた。森保も「体が勝手に動いた」「もう一歩足が出て走れた」と大会を振り返りながら感謝していた。大きな声で森保ジャパン! 頑張れ! って応援しよう。森保が<共闘をお願いします>といつも言っている。共に闘う! 本当にいい言葉だと思うよ。森保は、自分自身の信じた道をまっすぐに歩けばいい。大きな覚悟でW杯に臨んでくれる。絶対ぶれないから問題ない! だってわたしに何度も何度も怒鳴られながら、それでも信念を貫いてパスを出さなかった男だからね(笑)。 (聞き手=絹見誠司)
▽ラモス瑠偉(らもす・るい) 1957年生まれ。ブラジルのリオデジャネイロ出身。77年に来日して読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレー。89年に日本国籍を取得して90年9月のアジア大会で日本代表デビュー。92年アジアカップ初優勝の原動力となった。引退後はJリーグの東京Vや岐阜、ビーチサッカー日本代表で監督を歴任。2018年に日本サッカー殿堂入り。



















