「大きな字で書くこと」加藤典洋著

公開日: 更新日:

 昨年5月16日、71歳で亡くなった文芸評論家・加藤典洋の遺著。加藤はパソコンを使う以前はB6判の400字詰め原稿用紙に小さい字で書いていたという。

 パソコンに移行してからも小さいポイントの文字を小さく表示し、「メンドーなことがら、こみいった問題」を書いていった。そうすることで「鍋の料理が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきた」のだという。長いことそうやって書いてきたが、もう一度「大きな字」でシンプルなことを書いてみたいと思うようになった。

 それが本書の第1部をなす表題の連載コラムである。第2部も、手で抱えられ、足でひょいと飛び越すことのできる「水たまりの大きさで」物事を考えてみようという思いでつづられたもので、本書には、これまであまり語られることのなかった学生時代の思い出や、戦時中に特別高等警察(特高)に勤務していた父との確執、そして身辺雑事などが簡潔に記されている。

 その他、最後まで考え続けていた、憲法9条、日米安保条約、原爆といった大きな問題も登場するが、そうした事柄をも、理詰めではなく、素描風にサラッと書きながら、そこから湧いてくる自らの感情との出合いを書き留めるというスタイルでつづられる。もっとも父の思い出は例外的に5回にわたり書き継がれ、父が治安維持法違反で、あるクリスチャンを逮捕したことを告白したことの経緯が明かされている。そこで加藤は思う。もし治安維持法がなければ父の人生は違っていた。自分の人生は、どうだったろう、と。

 加藤典洋といえば「アメリカの影」(講談社)や「敗戦後論」(筑摩書房)といったポレミーク(論争的)なイメージが強いが、病床で死の直前まで書き継がれた本書の文章は、それらとは違う、新たな「晩年のスタイル」の始まりだったのかもしれない。残念ながら、この続きはもう読むことができないのだが。 〈狸〉

(岩波書店 1800円+税)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    元横綱・三重ノ海剛司さんは邸宅で毎日のんびりの日々 今の時代の「弟子を育てる」難しさも語る

  2. 2

    巨人・岡本和真を直撃「メジャー挑戦組が“辞退”する中、侍J強化試合になぜ出場?」

  3. 3

    3年連続MVP大谷翔平は来季も打者に軸足…ドジャースが“投手大谷”を制限せざるを得ない複雑事情

  4. 4

    高市政権大ピンチ! 林芳正総務相の「政治とカネ」疑惑が拡大…ナゾの「ポスター維持管理費」が新たな火種に

  5. 5

    自民党・麻生副総裁が高市経済政策に「異論」で波紋…“財政省の守護神”が政権の時限爆弾になる恐れ

  1. 6

    立花孝志容疑者を"担ぎ出した"とやり玉に…中田敦彦、ホリエモン、太田光のスタンスと逃げ腰に批判殺到

  2. 7

    沢口靖子vs天海祐希「アラ還女優」対決…米倉涼子“失脚”でテレ朝が選ぶのは? 

  3. 8

    矢沢永吉&甲斐よしひろ“70代レジェンド”に東京の夜が熱狂!鈴木京香もうっとりの裏で「残る不安」

  4. 9

    【独自】自維連立のキーマン 遠藤敬首相補佐官に企業からの違法な寄付疑惑浮上

  5. 10

    高市政権マッ青! 連立の“急所”維新「藤田ショック」は幕引き不能…橋下徹氏の“連続口撃”が追い打ち