「荷風の庭 庭の荷風」坂崎重盛氏

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「荷風の庭 庭の荷風」坂崎重盛著

 永井荷風といえば、私娼街・玉の井で暮らした日々を描いた私小説「濹東綺譚」や散策記「日和下駄」、フィクションを織り交ぜた日記「断腸亭日乗」が有名だ。

 1879(明治12)年生まれ。戦前戦後に多くの随筆、小説を書き、1959(昭和34)年没。女性に目がなく放蕩かつ教養深い趣味人のイメージだが、本書ではそんな荷風の別の顔が明かされる。

「荷風はエリート家庭に育って明治期にフランスとアメリカへ。身を持ち崩すように芸事の世界に憧れた人です。場末の歓楽街を日々徘徊したことでも知られ、文学者らにさまざまな切り口で語られてきましたよね。エグい感じがして、僕は嫌いだったんですが、20年ほど前に気づきました。実は秀でた理系感覚の持ち主だと。たとえば『日和下駄』ひとつとってみても、地形学的なことや草木を観察した記載がやたら出てくるんです」

 著者ももとは理系で、造園関係の行政職を経験したことから、荷風のこうした部分への気づきにつながった。温めること10年余り。

 植物や樹木などに焦点を当てて荷風の著作を読み、もうひとつの文芸世界を発見したのが本書だ。

「そもそも名前からして、荷風の『荷』は『蓮』のこと。号である『断腸亭』の『断腸』は、可憐なピンクの花が咲く秋海棠という花の異名で、断腸の思いで恋人を思いやる女性の逸話に由来しているんですよ。昭和13年刊の小説『おもかげ』の箱に蓮の花、戦後すぐの小説『来訪者』の表表紙にヒヤシンスのような花が描かれているほか、いろいろな著作に荷風自身による植物のスケッチが登場します」

 荷風が生涯に600句以上作った俳句の中からもそれがうかがえる。今の季節なら〈鶯や借家の庭のはうれんそう〉、梅雨時なら〈紫陽花や身を持ちくづす庵の主〉など佳作だらけだ。「荷風にふさわしい言葉は“ナチュラリスト”ではなかったか」と著者は言う。

 昭和25年刊の随筆「葛飾土産」には「小学生の頃、草花といえば桜草くらいだった」という意味の記載に続き、ダリア、チューリップ、ベゴニアなど当時普及したばかりの外国渡来の草花が記録され、「(西洋種の流行は)自然主義文学の勃興、ついで婦人雑誌の流行、女優の輩出などと、ほぼ年代を同じくしていたよう」と考察されている。

「鑑識、調査、ときには手にとって実験し、記録する。そこには貪欲な博物学者のシルエットさえ浮かびますが、いってみれば女性に熱心だったのと同じ姿勢なのかもしれません。面白いのは、明治42年の随筆『春のおとづれ』。雨に濡れた庭の楓の幹や枝を観察した後、『其如何にも自由な放縦な曲線の美しさは私をして直ちに浴後の女が裸躰のまま立つている姿を想像せしめた』と書いています。楓から裸の女性を思うなんて、さすが荷風。類いまれなる感性ですよね」

 ほかにも、荷風が都内の大銀杏、松をリストアップしたり、景観評論家のごとく感想を述べたりしていることなどにも言及。荷風を「嫌いだった」と先述した著者だが、本書を書き終え、「実に優しい人だと思うようになりました」とのこと。さて、あなたは? (芸術新聞社 3300円)

▽坂崎重盛(さかざき・しげもり) 1942年、東京生まれ。千葉大学造園学科卒業。横浜市計画局に勤務後、編集者、エッセイストに。「東京文芸散歩」「季語・歳時記巡礼全書」「『絵のある』岩波文庫への招待」など著書多数。

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