「湯船」武内涼氏

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「湯船」武内涼氏

 戦国もの、伝奇ものなど多くの時代小説を書いてきた著者が本作の舞台に選んだのは、明暦の大火に襲われた江戸。明暦3(1657)年1月18日、本郷丸山の本妙寺で上がった火の手は、凄まじい北西風にあおられて燃え広がり、江戸の大半を焼き尽くした。死者は10万人ともいわれている。

「日本列島は昔も今も災害と隣り合わせです。いつか歴史的な災害を書かなければ、と思っていました。明暦の大火は江戸時代最大の災害で、原因は失火とも付け火ともいわれていますが、吹き荒れた強風を思えば、天災の要素もあります。人災と天災が複合したこの大災害の現場に、登場人物を立たせてみました」

 灼熱の猛火が逃げ惑う群衆に襲いかかる。捨て置かれた家財道具が逃げ道を塞ぐ。一人転べば将棋倒し。川に逃げれば凍える寒さ。焼死、圧死、凍死……。多くの命が奪われていく。

 この巨大な地獄絵図の中に、主人公のぎんもいた。湯屋の跡継ぎ娘ぎんは、危機一髪のところを、偶然そばにいた浪人、茅島祐之進に助けられ、命をつなぐ。だが、この大火でぎんは、両親、祖父、大事な友を失った。重過ぎる苦難に押し潰されそうになりながら、それでも、ぎんは立ち上がる。こういう時こそ湯屋の出番。大きな湯おけを載せた湯船を仕立て、水路で江戸中をめぐって、人々に温まってもらおうと思い立つ。

「湯船という面白い商売は、本当にあったんです。上方から江戸へ物資を運んでくる船の人たちのためだったようです。明暦の大火と湯船が合体して、焼け出された人々に湯をとどける娘の物語ができました」

 ぎんの祖父が始めた寿々喜湯は神田駿河台と神田川にはさまれた低地にあった。今の東京でいえば、御茶ノ水駅のプラットホームのあたり。焼け落ちた寿々喜湯を再建しようとけなげに頑張るぎんの周りに、生き延びた妹や使用人、新たな縁を結んだ人たちが集まってくる。前向きでパワフルなぎんと、何事にも慎重な妹のうた。気質の違う姉妹はうまくやれるのか。頼りになるイケメン、祐之進とぎんの仲は? さまざまな人間模様をはらんで、ぎんと寿々喜湯は再生へと向かっていく。傷ついた人と町を癒やすのは、人の情けと湯のぬくもり。

「荒波が押し寄せたとき、立ち直っていくためには、人と人の絆が大事だと私は思います。家族でも、友人でも、隣人でも、利害ではなく、いたわりや思いやりで結ばれた絆が人を守り、社会を守っていくんじゃないでしょうか」

 庶民が復興に汗を流しているとき、江戸幕府も手をこまねいていたわけではない。粥の炊き出しに始まって、生活再建のための資金援助や物価高対策を打ち出している。大政参与の保科正之や老中の阿部忠秋は、町人軽視の頑迷固陋な幕閣とやり合い、庶民ファーストで対策を推し進めていく。今、こういうリーダーはいるだろうか?

「庶民による草の根の復興はとても重要ですが、もうひとつ、国や地方のリーダーが信念を持って庶民に寄り添うビジョンが必要だと思います」

 369年前の災害を題材にしたエンタメ時代小説は、災害大国の今とこれからを問うている。 (祥伝社 2200円)

▽武内涼(たけうち・りょう) 1978年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。映画、テレビ番組の制作に携わった後、2011年、「忍びの森」でデビュー。15年「妖草師」シリーズが「この時代小説がすごい! 2016年版」文庫書き下ろし部門第1位に。22年「阿修羅草紙」で大藪春彦賞、24年「厳島」で野村胡堂文学賞を受賞。他に「謀聖 尼子経久伝」シリーズ、「ふたりの歌川」など。


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