徳永ゆうきさん 人生を変えた大川栄策の「はぐれ舟」…NHKのど自慢でグランドチャンピオンになったのがすべて
転機は水森英夫先生との出会い
デビューは13年。デビュー曲はBEGINの比嘉栄昇さんに手がけていただいた「さよならは涙に」、セカンドシングルはBOOMの宮沢和史さんに手がけていただいた「平成ドドンパ音頭」です。転機になったのは4枚目「函館慕情」、5枚目の「津軽の風」を作曲してくださった水森英夫先生との出会いですね。
それまでは歌詞や曲のことを深く考えたことがなかったんです。「はぐれ舟」で「のど自慢」に出た時もそうですが、あくまでも歌は一家だんらんで家族と楽しむものと考えていましたから。ここをこう歌いたいとか、歌わなあかんというのがなくて、自由に歌っていた。
■「こぶしが多すぎる」
レコーディングの前に水森先生のご自宅に伺って、歌手になってから、初めてレッスンを受けました。その時に先生に「こぶしが多すぎる」と言われた。こぶしは料理でいうと調味料の一つで、入れすぎると味が濃くなって、もういいとなる。薄すぎると物足りない。ちょうどよくないとおいしくいただくことができないんだよ。こぶしも同じで、入れすぎるとガヤガヤして聴いている人に歌が入ってこない。少なすぎると物足りない。入れすぎても少なすぎてもダメなので、事前に入れるところを決めておいた方がいいんじゃないか。そう指摘されました。「いいあんばいに聴く人に届けなさい」と……。
その時に初めて自分の歌い方を見つめ直すことができた気がします。こぶしの量をどういうバランスで入れていくか、改めて考えてみました。最近は演歌だけでなく、ポップスやフォークソングをカバーする機会も増えているし、それをどう歌うかも含めて考えるきっかけになりました。SNSでは「こぶしが気持ちいい」といったコメントもあったので、どんな歌でも日本人にはこぶしを心地よく感じるDNAがあるのかなと思います。こぶしは僕の武器です。先生が教えてくださったことに感謝しています。
歌手になってから先輩方にはいつもよくしてもらっています。小さい頃からずっと演歌を歌ってきて、デビューするまで、演歌界には怖い人が多いんかなとか、上下関係が厳しいんやろなと、勝手な先入観で思っていました。
でも、本当に気さくな方が多いんです。とくに市川由紀乃さん、天童よしみさん、川中美幸さんには親しくさせていただいていて、天童さんには「先輩」、川中さんには「師匠」と言われているんですよ(笑)。もちろん関西人のノリがあってのことで、「やめてください」と突っ込んでいますが。
天童さんとご一緒した時に番組で「なんで先輩って呼ぶんですか」と聞かれて、「徳永君は演歌も、私たちと歌うような古い歌もしっかり歌っているし、演歌以外の舞台やドラマ、ミュージカルとかいろいろチャレンジしている。その姿を見て、私も頑張らなあかんと思って」と話されていました。
朝ドラには「エール」と「カムカムエヴリバディ」の2つに出させていただきました。もともと緊張するタイプですが、朝ドラはちょっとヤバかったですね。ステージは仮に最悪の事態になっても自分がやればいい、巻き返せるかもしれないと思えるけど、映像作品はタイトなスケジュールの中でキャスト、スタッフが何十人、何百人と関わっているからミスしたらあかん。そう思うとガチガチになります。
デビュー当時から常に「演歌と若者の架け橋になりたい」と言っています。若い人が僕がきっかけで演歌を聴いてくれるようになったり、興味を持ってくれたらいいなと思っています。ポップスを歌うことも増えていることで、「年配の方とポップスの架け橋になっているよ」と言ってくださる方もいます。