佐藤健は「グラスハート」で主演・企画 俳優プロデュース×配信メディアの強力タッグで“次世代の真田広之”が続々誕生
いわゆる“スター・プロ”の時代が訪れた
このように俳優が作り手側に回る状況は、1960年代にもあった。当時日本映画界はテレビの隆盛によって斜陽産業になり、各映画会社のスターが自分たちの作りたい映画を求めて独立。三船敏郎が三船プロダクションを62年に設立したのを皮切りに、石原裕次郎が63年に石原プロモーションを、勝新太郎が67年に勝プロダクションを、萬屋錦之介が68年に中村プロダクションを作って、いわゆる“スター・プロ”の時代が訪れる。スター・プロは当初意欲的な企画を次々に打ち出し、日本映画の年間興行収入第1位になった、石原プロと三船プロ共同製作の「黒部の太陽」(68年)など大ヒット作も生まれたが、スターを中心に置いた組織の運営と維持が難しくなり、多くが映画からテレビの連続ドラマに活路を求め、やがて三船プロを除いて消滅していった。
60年代当時と異なり、あくまで企画の実現、作品のクオリティーを上げることが目的で、ものづくりの姿勢として健全だといえる。こういう動きの中からアメリカでエミー賞18冠、ゴールデングローブ賞4冠に輝いた真田広之主演の「SHOGUN 将軍」のような、世界が注目する作品が日本から生まれるのか。今後の展開が気になるところである。
(映画ライター・金澤誠)
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