【日刊ゲンダイ50周年特別インタビュー】バイオリニスト千住真理子さん「一生こんな日々が続くのか」と20歳で手放すも…
「聴衆が求めているのは完璧さではなく“心を動かす音楽”なのだ」
2歳半でヴァイオリンを始め、練習は1日10時間、多い時には14時間に及んだ。15歳で日本音楽コンクール最年少優勝という輝かしい経歴を築く一方、過酷な練習で筋肉は疲弊し、完璧を求める重圧から「一生こんな日々が続くのか」と思い詰め、20歳でヴァイオリンを手放した。
その後、在籍していた慶應義塾大学文学部哲学科で”普通の学生”として過ごすなかでボランティア活動に出会う。ホスピスや老人ホームでの演奏だ。
「聴いてくださった患者さんやお年寄りの方々から、目に見えない温かさをいただきました。2年ぶりで最初はひどい演奏でしたが、涙を流して喜んでくださる方がいて。その経験から、聴衆が求めているのは完璧さではなく“心を動かす音楽”なのだと。私の心の深く傷ついた部分が少しずつ癒され、人間としての大切な大きなものを教えていただきました」
大学卒業後、再びプロとして復帰を決意。音大に進まなかったこともヴァイオリニストとしてプラスに働いたという。
「尊敬してやまない山岸健先生の人間社会学の講義や、哲学、とりわけインド哲学は大変興味深く私の考え方を根本から変えた部分もあり、勉強して良かったなと今思っています」
しかし、2年のブランクは大きかった。演奏を再開しても、10代の頃の「指の感覚」は戻らず、手応えを感じられないまま7年が過ぎた。ある日突然感覚が戻ったものの、しばらくは「また失ってしまうかもしれないという恐怖を抱えながらの演奏だった」と振り返る。
また、千住さんには同じく芸術家として活躍する兄たちがいる。日本画家の千住博氏、作曲家の千住明氏だ。家族から受けた影響は大きいが、20歳で辞める直前、長兄・博氏が語ったエピソードは今も心に残っている。
《ある絵描きがいた。とても上手に絵を描く人だった。しかしその人は悩んだ。上手に描けてしまうが、内面がなかなか書けない。テクニックが上回ってしまう。そこでその人は絵筆を左手に持ち替えて、絵を描くようになった。その絵はもちろん技術的に上手なとは言いがたいものだったが、そのかわり、その人の絵に見る人は、心を奪われた》
■300年間誰も弾けなかったストラディバリウス「デュランティ」との出会い
さらに、千住さんが50年ヴァイオリニストとして歩んできた大きな理由のひとつに、名器ストラディヴァリウス「デュランティ」との出会いがある。1716年製、300年間誰にも弾かれていなかったその楽器を千住家が購入した。
「初めて出会った時、そして音色を奏でたとき、体中が震えるほどびっくりしました。その瞬間から私はデュランティの虜に。『この楽器を一生弾いていけるならば何もいらない』と心に誓いました。この楽器を奏でるために、食事や運動、生活リズム、練習の仕方まですべて練り直し『ディランティにあった私自身』になるように努力しています。51年目を迎えるにあたり、1人でも多くの皆様にこのストラディヴァリウス"デュランティ"の音色を聞いていただきたい。その中で、ジャンルの違う音楽家たちとのコラボレーションがあると、また世界が開けるのではないかという思いも持っています」


















