石橋静河は個性重視の小中高一貫教育「明星学園」に通いバレエに打ち込む
北米最大のボストンバレエスクールに入学するも、ひどいホームシックに
15歳になると単身で渡米。オーディションを経て北米最大のボストンバレエスクールに入学した。しかし、そこからが大変だった。ひどいホームシックにかかってしまうのである。「骨格的にクラシックバレエに向いていないこともあり、精神的にかなりきつかったのではないでしょうか」と推測するのはバレエ学校の講師だ。一方、前出の趣里は小顔で上半身が薄く、バレエでは理想的な体形だという。だが、アキレス腱断裂などのケガに見舞われ、留学先の英国から帰国を余儀なくされている。
くじけそうになりながらも2年間、ボストンで頑張り通した石橋はさらに高みを求めて行動を起こす。カナダのカルガリーにあるスクールオブアルバータバレエに編入。ここには石橋にかつて厳しい言葉を投げかけた服部がいた。彼の指導を受けるために移ったのである。根性では誰にも負けなかった。必死に食らいついていた石橋だったが、現実を思い知らされることになる。カナダに行ってから技術は向上したものの、プロになれる一握りの人たちには追いつけないことを悟ったのだった。
4年間の留学生活を終え、日本に戻ってきた石橋は活躍の場をコンテンポラリーダンスに求めた。ダンサーとして舞台に立つうち、昔はやらないと決めていた芝居の面白さに気づき始める。帰国から2年後、女優として活動を開始。17年に「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」で初主演を果たすと各新人賞を総なめに。一気にスターダムを駆け上がっていくのである。
(取材・文=田中幾太郎/ジャーナリスト)


















