糟谷悟さんは悪性リンパ腫を克服「ランナーでなければ気づけなかった」

公開日: 更新日:

糟谷悟さん(トヨタ紡織陸上部マネジャー)=悪性リンパ腫

「調べられる検査はなんでもしてください。自分は絶対、病気だから」

 そう医師に訴えて、やっと見つけてもらった「悪性リンパ腫」でした。ステージは2。割と早く気づいた方だと思います。

 それは2013年でした。ランナーとして走っている感覚が明らかにおかしかったのです。本来のパフォーマンスがまったく出せない。軽いジョギングが苦しい。中学1年生でできたような練習ができない……。そんな風邪をひいたときのような状態が2カ月ぐらい続いたので、近所の医院を受診しました。

 でも血液検査で異常が見つからず、「メンタルだね」と言われて終わり。そんなわけがないと思ったので、大きな病院を紹介してもらったのですが、そこでも最初は同じ結果でした。血液検査で異常がないので、「プレッシャーからくる胃腸炎的なもの」と言われたのです。

 心の中は「何言ってるの? 絶対に違うよ」という気持ちでいっぱいでした。メンタルはそんなに弱い方ではないので到底納得できません。後から知ったことですが、悪性リンパ腫は血液の病気とはいえ、それを疑って検査項目に含めないと引っかからない。だから発見が遅れることが多いのだそうです。

 たしかに、日常生活を送るだけなら何の問題もない状態でした。もしランナーでなかったら気づけなかったでしょう。医者が何と言おうとメンタルではない確信があったので、冒頭のように訴えたのです。

 病巣が見つかったのは大腸検査でした。カメラがもうこれ以上進めないギリギリのところで、医師が「あれ? 何かある」と言ったのです。大腸と小腸の境目に腫瘍が見つかり、生検の結果待ちになりました。

 腫瘍が何であれ、原因が分かったのなら、何をすべきかもはっきりする。あとはそれをやればいいので気分的には楽になりました。状態が悪いのに何も分からないのが一番どうしようもないですからね。

 ただ、後日結果を聞きに行くと「悪性リンパ腫」という聞いたことのない病名を告げられ、戸惑いました。「がん」は付いてない。でも「悪性」が付いている。なんだか分からないので「これは命に関わる病気ですか?」と尋ねてみると、「そうです」と言われ、「うわぁ~」となりました。

 幸い痛みなどの自覚症状がなかったので恐怖にさいなまれることなく、すぐに治療の方へ気持ちを切り替えられましたけどね。

■家族に病名を告げる電話が一番きつかった

 一般的に悪性リンパ腫の治療は抗がん剤だけで済むはずなのですが、僕の場合、まず腸の腫瘍の切除手術がありました。腫瘍が腸壁の厚みの奥まで行っていたので、そのまま抗がん剤で潰すと腸壁に穴が開き、がんが散らばる危険があるとのことでした。

 腸を数センチ切った後に抗がん剤治療を5クールやりました。腫瘍はひとつではなかったので、それらを抗がん剤で潰したわけです。

 2クール目が終わるまで入院して、その後は通院しながらでした。ずいぶん仕事を休んでしまいましたが、会社も陸上部もサポートをしてくれてとても助かりました。

 一番きつかったのは、病名を家族に告げるための電話です。その2日前に、とても仲が良かったいとこのお葬式があったばかりで、両親が泣いているのを間近で見ていただけに、追い打ちをかけるような知らせはできれば告げたくなかった。けれど、いずれ分かることなのでそうもいかず、なるべく明るいトーンで血液のがんになった旨を話しました。電話口から母親の発狂に近い声が聞こえて、自分も涙が出ました。でも、逆にそんな状況だったから自分は強い気持ちになれたんです。みんなが心配しないようにと思うと明るくなれたし、病気にビビることなく、しっかりしていられた気がします。

 抗がん剤の副作用で髪が抜け始めたときも、「どうせ抜けるなら」と、姉に頼んで後頭部の髪を“顔”に見えるように剃ってもらったりしました。その写真をみんなに送って、「アホやってる」と返信がくるのを励みにしていました。

 電話口で発狂していた母親も、抗がん剤の副作用でパンパンにむくんだ顔を見て、「おでぶちゃんになっちゃったわね」と僕のことをいじれるくらい元気を取り戻してくれました(笑)。

 13年12月に治療が終わり、16年にニューイヤー駅伝に出られるまでに回復しました。

 ただ、その道のりはしんどかったです。体が変わってしまって、これまでの経験が参考にならなかったのです。練習の方法や、その効果を一から構築していくのは大変でした。

 でも、同じように治療している人からいっぱいメッセージをもらって、僕が走ることが人のためになると実感しました。

 もう病院や薬から離れて久しいですが、目覚めの感覚や排泄物の状態を観察する“アスリート癖”はいまだに続いています。

(聞き手=松永詠美子)

▽糟谷悟(かすや・さとる)1983年、愛知県生まれ。箱根駅伝で駒沢大学が4連覇を果たした2002~05年のうち3大会で走り、優勝に貢献。卒業後、トヨタ紡織に所属し、陸上部で長距離の主力選手として活躍。13年から悪性リンパ腫の治療に専念し、16年のニューイヤー駅伝で復活した。19年に現役を引退し、現在に至る。

■本コラム待望の書籍化!愉快な病人たち(講談社 税込み1540円)好評発売中!

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    2度目の離婚に踏み切った吉川ひなの壮絶半生…最初の夫IZAMとは"ままごと婚"と揶揄され「宗教2世」も告白

  2. 2

    巨人桑田二軍監督の“排除”に「原前監督が動いた説」浮上…事実上のクビは必然だった

  3. 3

    嶋基宏は一時期ノイローゼ状態になっていた...心ここにあらずで、魂が抜けた状態に

  4. 4

    伊藤健太郎とキンプリ永瀬廉で明暗クッキリ…「熱愛報道」出口夏希の足を引っ張りかねない“イメージ格差”

  5. 5

    なぜ「愛子天皇」ではダメなのか? 美智子さまが心情を吐露する出版物を準備中…と政界で話題

  1. 6

    嵐が去る前に思い出す…あの頃の「松本潤」と「大野智」

  2. 7

    視聴率の取れない枠にハマった和久田麻由子アナの不運 与えられているのは「誰でもできる役割」のみ

  3. 8

    不慮の事故で四肢が完全麻痺…BARBEE BOYSのKONTAが日刊ゲンダイに語っていた歌、家族、うつ病との闘病

  4. 9

    居酒屋倒産が過去最多ペース 客離れの背景にある「飲み放題5000円」の壁

  5. 10

    巨人“育成の星”のアクシデントに阿部監督は顔面硬直、原辰徳氏は絶句…桑田真澄氏の懸念が現実に