広瀬哲朗さん 蒲原名産の桜えびだけで作る絶妙なかき揚げ
一塁への果敢なヘッドスライディング、眼鏡にスキンヘッドのユニークな容貌で知られ、日本ハムの名物男だった広瀬哲朗さん。98年に現役を引退後は野球解説者、タレントとしても活躍し、現在は体育指導のスタートラインが運営する品川・大崎にある教室で幼児から小学生向けの野球指導を行っている。
出身は東海道の宿場町があった旧蒲原町(現・静岡市清水区)。子どもの頃から野球に親しみ、中学時代は歌手の久保田利伸が後輩(2学年下)でバッテリーを組んでいたというから、奇縁だ。
「僕が投手、利伸が捕手でした。八百屋つながりなんです。利伸の家は今も八百屋でうちは祖父がやっていた。子どもの頃から家族ぐるみの付き合いでした」
地元では有名な野球少年だった広瀬少年は地元の名門校からも誘われたが、父・清隆さんと担任の教師がモメ、学区外の富士宮北高に進学。自宅から高校までは車で片道2時間弱の道のりだった。NTTの社員だった清隆さんが帰りは毎日迎えに行ったというから、親子の絆の深さはいかばかりか。
野球部の合宿ともなると母・みえ子さんは部員のために大量の差し入れを持参した。それが決まっておはぎ。
「大きなつぶあんのおはぎでね。おふくろがクソ暑い夏でもおはぎを持ってくるから仲間は『ウソだろ』と呆れてた。それを僕は一度に28個食べたこともあります。そうしたら、よそのお母さんが『将来、大物になるゾ』と驚いてたね(笑い)」
子ども時代からよく食卓に出たのは蒲原名産の桜えびのかき揚げ。
「桜えびは揚げるとピンク色になって、見た目もうまそう。かき揚げといってもタマネギとかネギとか他のものがまったく入らない、シンプルな桜えびだけのかき揚げで揚げ方が絶妙でした。グニャッとでもなく、あまりサクサクでもない中間で。夜ドッサリ作って食べ、残って冷たくなったのを翌日の朝も食べたけど、ご飯は何杯でも食べることができましたね」
雑煮も大好きだった。具は切り餅、大根、里芋だけ。鶏肉も入らないダシと醤油のこちらもシンプルな味で、大人になってからそれを見た知り合いには「これだけ?」と驚かれたそうだ。
高校卒業後は縁あって西武に入った石毛宏典の駒大に進学。東都大学では1年から石毛の後釜としてショートを守ったが、両親は全試合、観戦するために静岡から車を飛ばして駆け付けた。まったく頭が下がる。
卒業後は社会人の本田技研を経てドラフト1位で日ハムに入団した。
「ボクの野球人生は陰ながら支えてくれたオヤジとおふくろのおかげ。それに応えたいと思ってずっと野球をやってきた」
清隆さんは日ハムが北海道に移転した04年、みえ子さんは2年前に他界したが、後年はみえ子さんでなく、義姉が祭りやお盆で帰省した時に桜えびのかき揚げやおはぎを作って広瀬さんをもてなしてくれる。