牧原俊幸さん<3>マジックには「けっこうお金使いました」
入社1~2年目は、同局の名物番組「プロ野球ニュース」担当だったため、勤務は夕方から深夜までの夜勤状態だった。
「プロ野球ニュースの出番が終わり、アナウンス室に戻ると、もう12時すぎ。いや、1時近くだったかな。当然、ほとんど誰もいません。そこへ3年先輩の山村美智子(当時)さんが、髪をずぶ濡れにしてタオルを巻いたまま、ひとり寂しく入ってくる。
当時、山村さんは『オレたちひょうきん族』でサブ司会を担当していましたが、おそらく収録でバケツの水をかぶったんでしょう。それが一度や二度じゃないんです。それまで山村さんはバラエティー番組の経験はなかったそうですが、ずぶ濡れの姿を見るにつけ、“女子アナは大変な仕事だなぁ”と同情した覚えがあります」
当時のフジテレビは“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズに、バラエティー路線に注力していた。特に、山村美智子アナと「なるほど!ザ・ワールド」で世界中を飛び回っていた益田由美アナの2人は“女子アナブームのはしり”だったと振り返る。