会社員から作家に転身 道尾秀介さんが語る2020年の働き方

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 作家・道尾秀介さんが小説を書き始めたのは19歳(大学2年生)だったが、大学卒業後はデビューまでに訪問販売会社、オフィス用品の商社の営業マンを経験している。会社員生活が作家としての働き方や生き方にどうつながっているのか。

  ◇  ◇  ◇

 売れっ子作家ながら、穏やかで丁寧な口調を崩さない。記者の質問にも、話し終わるまで深くうなずきながらしっかりと聞いている。新卒でトップ営業マンに上り詰めただけあって、話しやすい印象だ。

 大卒後に就いたのは、白アリ駆除や家の耐震確認をして、補強用品を販売する仕事。訪問先から無料点検の許可を得るとツナギにマスク姿で床下に入っていたという。

「体育会系の会社ですから、毎日、数えきれないほどの家を訪問していました。その都度、自己紹介から始まって、お客さんに気に入られ、商売の話につなげなければいけない。だけど僕は会社員ながら、“やりたくないことはやらない”と決めていました。嫌がる人にガツガツ営業したり、大げさに説明したりするのは気が進まなかった」

 そんな道尾さんがトップセールスマンになれたわけは?

■嫌がる顧客に「YES」と言わせるコツ

「僕は、会話を楽しむ人にはとことん付き合うスタンスです。聞くだけ聞いて、契約に結び付かないことも多いんですけど、あるとき年配女性の自宅で雑談をしていて、彼女が『庭のシャクナゲの花がキレイに咲いてくれない』とこぼしていたんです。それで家に帰ってから、本を読んで調べてみたら、シャクナゲは根が下ではなくて横に伸びることがわかった。あの庭には真横に違う木が植わっていたから、これが原因だと思い、翌日伝えに行ったんです。それをすごく喜んでもらえて、気付いたら、契約を取っていましたね(笑い)。商品に限らず、その人に必要なことを提案すると、次は相手が僕の希望を聞き入れようという心理が働くことがあります。人間関係って、自分の出方次第で相手の態度が変わるんですね」

 歩合制で、新卒で年収は800万円ほど。1社目は3年間続けた。こうした営業経験もネタにつながるのが作家だ。小説「球体の蛇」での白アリ駆除業者の細かい描写につながったり、作品の登場人物を考えるヒントになっている。

■本格的に始めるより動き出すのが大事

 2社目に勤めていた27、28歳の頃は、忙しさから執筆時間はあまり取れなかったが、自身が立ち上げたHPから転機が訪れる。何か取っ掛かりをつくることも大事だ。

「推理クイズのコーナーを設けて、小説の問題編を読んだ読者からメールで推理を受け取り、解答編を送るということをしていました。作家になる前ですが、書いたものを読者と共有できるのが楽しかった。もちろん、1円にもなりませんでしたけど、HP上で短編を書き続けていたら、日本テレビ系の番組『週刊ストーリーランド』の担当者から、話をつくってほしいと依頼が来たりもして。その後、携帯サイトからも小説の執筆の機会をいただきましたね。温泉サイト向けに温泉にまつわる話を書いたりとテーマに沿って短くまとめるトレーニングになったうえ、原稿料ももらえたし、文章力も鍛えられました」

 今は、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどSNSでやりたいことは発信できる。大企業やベンチャーなどの7割以下は副業を認めている。最初はお金にならなくても、始めてみるのもいい。

■今の仕事が自分に向いているか

 道尾さんは営業マンとして多忙な生活を送りながら、29歳で作家デビューしている。やりたいことを目指しながら仕事をするために、ルールはあったのか。

「19歳から10年チャレンジして芽が出なかったら作家は諦めるつもりでいた。30歳は区切りがいいですし。資格取得もそうですが、一つのことに10年間没頭し、ダメならそのことに向いていないんだと思ったから。大学卒業後に就職をしたのは、作家を目指しながらもご飯を食べるためです。向いていれば、どんな職業でも5~10年で十分成果が出ます。職業には向き不向きが重要で、作家にしても向いていればスタート時点の年齢は関係ありません」

 道尾さんと同じ04年に「ホラーサスペンス大賞」で大賞を受賞した沼田まほかるさんは、初めて書いた「九月が永遠に続けば」が評価され、56歳で作家デビューしている。

■体に染み込んだタイムスケジュールに従う

 作家デビュー後、会社通いをやめると時間の使い方がわからなくなったという。どうやって解消したのか。

「あれだけ目指していた作家ですが、平日の日中に家にいると逆に時間の使い方がわからなくて、何も浮かばなくなってしまいました。そんなときは会社員時代と同じタイムスケジュールで営業時間の再現をしていましたね。車にノートパソコンを積んで出掛けて、駐車場を見つけて車内で執筆する。とてもはかどりました。働く環境が変わって、時間を持て余したり、アイデアが出てこないという人は、体が覚えている習慣を再現するといいかもしれません」

 定年を迎えたり、転職先でイマイチ本領を発揮できないサラリーマンは試してみる価値はありそうだ。

儲からなくても唯一、絶対のものをつくれば一生食べていける

 小説「カラスの親指」と最新作の続編「カエルの小指」はコンゲーム小説といわれるジャンルだ。詐欺師を主役にし、だましだまされ合いを繰り返す心理サスペンスだが、発売時点でもっとも新手の手口を取り入れるために取材を重ねたという。同時に、2作とも家族愛も描いている。前作に登場した主人公で詐欺師の武沢と、スリで一家を支えている少女まひろらの15年後を描いている。

「普通のコン・ゲームなら僕が書かなくてもいい。家族というテーマをずっと追いかけているんです。訪販営業時代もたくさんの家に上げてもらい、独居高齢者を含め数え切れない人と触れ合い、いろんな生活を見てきたので」

 こうした仕事の仕方を考える上で、獣医師の野村潤一郎さんの著作に影響を受けた。野村さんは、一時期は120種類以上の動物たちと生活し、個性的な獣医師として知られる。たとえば、著書の「ミミズに笑われない生き方」は、“人間も動物の一種でありながら、動物より高級な存在だと思い上がってしまったことが、人間界の多くの問題を生み出している”との視点で、働き方や生き方を説いている。視点が独特だ。

「野村さんの著作の中で、絶対につぶれない商売の仕方についての考えが書いてありました。それが『唯一絶対のものを作る』ということです。簡単なことだけど、説得力がありました。僕もベストセラーはなるべく読まないし、メジャーなものには滅多に手を出さない。小説って、時代を追ってしまうとダメで、普遍的なものが書けない。いま話題のテーマで連載をしても、書籍化して書店に並ぶころにはブームが去っている可能性だってあるし。もちろん、時代を追わないと大きな稼ぎには繋がらないかもしれません。でも、誰もやっていないことは新しい需要に繋がる。そこを意識して仕事をしています」

 世の中はITだ、AIだと騒がしいが、時代を追わない働き方がいい。

■「あるわけない」を疑ってマインドセットをやってみる

 新卒で入った白アリ駆除用品などの訪問販売の仕事は、歩合制で年収は800万円。3年間続けたが、体力的にも長く続けられる仕事ではなかった。4年目に転職したのは、文具やパソコンを扱うオフィス用品の商社の営業だった。

「2社目では、給与は半分に下がりました。新宿を拠点に得意先へのルート営業をしていて、早朝から夜遅くまで新宿の街を車で走り回っていました」

 この時代に学んだのが「マインドセット」という考え方。ビジネスでは、これまでの考え方を否定し、世の中を多面的に見渡すことで、新たな自分の価値観をつくり出すことをいう。

「新宿では『事実は小説より奇なり』という言葉が身に染みました。早朝に歌舞伎町を通ると、若い女性がゲラゲラ笑いながら下着姿で走って、それをホストたちが追いかけていたりする。あり得ないような光景だけど実際によく見ていたし、こんな状況、自分では思いつかない。世の中をよく見てそれを面白がらないと、現実を超えるいい小説は書けません。たぶんどんな仕事でもそうですが、同じ作業をしていても、同じ場所を通っても、まったく変わらない日常なんてない。そこに気づくと景色の変化や通行人の会話に敏感になるし、世の中が面白く見えてきます。捨て目が利くんですね。情報収集力も高まりますし、仕事に向かう足取りも変わってくるかもしれません」

 時代や空気を読み、他人に合わせた働き方はもうやめようか。

▽道尾秀介(みちお・しゅうすけ)
1975年生まれ。大学卒業後、サラリーマンを経て2004年に「背の眼」で作家デビュー。11年「月と蟹」で直木賞受賞。最新刊は「カエルの小指」(講談社)で、09年の日本推理作家協会賞受賞作で60万部の大ヒット作「カラスの親指」の続編となる。http://michioshusuke.com

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