町中華ブームの裏で…姿を消す“日本式昭和スタイル”の哀愁

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 東京の酒場の聖地と呼ばれる立石(東京都葛飾区)に20年以上暮らし、酒場と町中華をこよなく愛して日々通うジャーナリストが憂う、東京下町で店を続ける町中華の苦境とは。

■町中華ブームはなぜ起きた

「町中華」という言葉がすっかり一般的になった。情報番組や雑誌では「町中華」特集が組まれ、昭和の風情が漂う町中華を求めて遠方まで出かける人も多い。人気にあやかり、2019年4月からBSーTBSで「町中華でやろうぜ」という番組が始まってからは、「町中華飲み」もブームである。先鋭化し続けるラーメン競争への反動や疲れもあるのかもしれない。

 町中華の定義が特にあるわけではないが、「日本式で昭和スタイル」の中華料理店を指すようだ。

 ナルトが浮かんだ醤油ラーメン、餃子、チャーハンに始まり、カレーライスやオムライス、丼ものやトンカツを置いているような店だ。ニラレバ炒めや酢豚はあるものの、鶏肉とカシューナッツ炒めやチンジャオロースのような本格中華はない。中学生の頃、塾や部活帰りに一番安いラーメンを食べられたような店である。

 そんな、かつては周囲500メートルほどの生活圏にいるような客しか来なかったような店にいま、「町中華飲みツアー」の客がやってくる。

■43軒のうち6軒が閉店した

 そのブームとは裏腹に町中華はどんどん姿を消している。私が暮らす葛飾区にも、主な駅の周辺は中華料理店が実にたくさんある。しかし、その多くは「日本式昭和スタイル」ではなく、中国人が経営する中国家庭料理店だ。駅前商店街や繁華街など、客商売として好立地な場所ほど町中華はどんどん淘汰されている。ゆえに町中華は、駅や繁華街からやや離れた場所に存在することが多い。例えば葛飾区立石の「味の横綱」、東四つ木の「むらこし」、東新小岩の「珍満茶楼」など、美味しくて安価な人気店も、最寄駅から10分以上離れた住宅街にある。

 私は以前から、「なんで、こんな商業地でもない場所に店があり、そして経営が成り立っているのか」と、不思議に思っていた。その疑問を解くため、集中的に葛飾区内の町中華をめぐり始めた。

 訪れた43軒のうち、この2年間で6軒が店を閉めた。コロナの影響はもちろんあるだろうが、それよりも深刻なのは高齢化と町の変化だ。

「鍋を振れば振るほど」おカネもふった

 町中華の歴史を振り返ってみよう。現在も営業を続ける店主の年齢は、代替わりしていなければ60代後半から80代。長い人は60年近くお店を続けておられる。修業時代を経て彼らの多くが店を持ったのは昭和40年代~50年代半ばにかけてのことだ。

 中学か高校を出て修業をし、多くの人は20代で独立。ひと駅かふた駅離れたぐらいの場所に同じ屋号の町中華が存在するのは、のれん分けで独立していった町中華も多いからだろう。60年代の高度成長期後半からバブル期にかけて、城東地区(江戸城=現皇居の東エリアの俗称。墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区が該当)には日本の産業を下支えした中小零細の町工場が数多く存在した。葛飾区で言えば、昭和50年代から60年代においては、全工場の9割以上が従業員10人に満たない零細工場や家内作業所である。当然、社員食堂のようなものはない。

 だから、駅から離れた場所にこそ「メシを食う場所」が必要だった。昼どきには作業員たちが空腹を満たし、仕事のあとは晩酌を兼ねた晩メシ。昼夜問わず出前の注文も数多くあった。労働規制もゆるく夜遅くまで働くことは当たり前だった。ある町中華の店主によれば、20代でいきなり住居兼店舗の物件を買っても、「鍋を振れば振るほど儲かる」時代だったという。町中華と町蕎麦屋は激しくしのぎを削った。

■新勢力が台頭してきた

 ところが、気づかないうちに新種のライバルが密かに勢力を伸ばしつつあった。昭和45年(1970年)に「すかいらーく」1号店が開業したのをきっかけに、ファミレスチェーンが次々と出店を始める。さらには昭和49年(1974年)5月に「セブンイレブン」、昭和51年(1976年)6月には「ほかほか弁当弁」(通称・ほか弁)の1号店が開店。

 特に90年代以降のコンビニの台頭は急速で痛手だった。昼休みにわざわざ混んだ店に行って、食事をするだけで1時間を潰されるより、おにぎりや弁当を買って会社で食べ、残った時間は友人と話すか、社用車で寝る。たまには町中華も食べに行くが、以前のように毎日ではない。食事の選択肢が増えるほどに日本は豊かになった。

バブル崩壊でも生き残った

 さらなる打撃はバブル経済による産業構造の変化だ。地価の高騰、工場拡大の必要に迫られた大企業や中堅企業は工場を郊外や海外に移転、部品も現地調達を始めると、町工場は好景気であるにもかかわらず得意先が消滅する危機に瀕する。平成2年(1990年)頃をピークに製造品出荷額や従業員数も減少に転じてゆく(葛飾区史による)。そして1989年末を境にバブル経済が崩壊。下請け企業が多い城東地区の町工場は激減していく。

 葛飾区でもかつて町工場街だった町域にはいまファミリー向けマンションや一戸建てが建ち並び、人通りも静かだ。商店街ではなく大型スーパーで買い物をし、普段の食事は自宅で食べる。住宅街の中に飲食店はほとんどない。

 そんな街で、今もわずかに見かける飲食店が「町中華」だ。多くの店が時代の変化とともに消えていった中、それでも試練を乗り越えられた理由はいくつかある。例えば「バブルを生き延び、中堅企業に成長した元・町工場が近くにある」とか、「コンビニが近くにない」、「学校や総合病院が新しくできた」とか、店の存続を必要とした要素が何かしらある。自身ではどうすることもできない「運」も作用し、多くの町中華が廃業し生き残った。

 しかし、生存競争を勝ち抜いた最大の理由は、やはりその店が他店より「優れていた」のだと筆者は思っている。実際に訪れた町中華の多くは美味しく安価で、古いながらも店内は清潔に保たれ、ご高齢になっても店主やおかみさんはテキパキと仕事をこなされていた。

 それでも、櫛の歯が欠けるように日々その姿を消していっている。「日本式昭和スタイル」の町中華が新たに開業することはもうない。息子が親の店を継ぐというケースもなくはないが、代が変われば料理や内外装も変わり、時代に合わせた店になるはずだ。

沢庵が箸休めだった

 昨年、京成線沿いの葛飾のある街でも一軒、町中華が店を閉めた。この街も20年ほど前までは町工場が多くあったが、今はその景色は見当たらない。

 以前、私が訪れたとき、作業着姿の男性がタンメンを食べていた。近くに解体工事の現場があったので、おそらくそこの作業員なのだろう。常連客ではない。

 チャーハンを頼むと「ありがとうございます」とはっきりとした声で応え、店主は厨房へ消えた。

「大変お待たせしました」。これもまた丁寧な言葉とともに届いたチャーハンは、しっとりとして美味しい。付け合わせのスープもすっきりと澄んでいて魚介の香りがし、きっとラーメンも美味しいのだろうと思われた。箸休めに沢庵が付いているのも嬉しい。

 先客が帰り、店主と2人きりの店内。彼はテレビに向かって座り、お茶をすする。こうしてひとりで過ごす時間も最近では少なくないのかもしれない。

■ライバルは「コンビニ」になった

 帰りがけ、「何年ぐらいここで商売されてるんですか?」と問うと、「そうだねえ、50年はやってますねえ」と、元気な声で答えた。

「50年も。ずいぶんこのあたりも変わりましたか?」

「町工場も減ったしねえ。それに昔はライバルは同業者だったけど、今はコンビニ。そのほうが安いし、いろんなもの食べられますから。うちなんかは厳しいですよ」

 ぴんと背筋を伸ばし、さほど悲観するでもない表情で答える。年齢を聞くと77歳になるという。福島県いわき市の中学校を出て上京し修業をされたのち、ここに店を構えた。

「故郷にはもう、親戚も知り合いもいなくなりましたよ。震災(2011年の東日本大震災)で亡くなったり、引っ越したりで」

 故郷は津波と、その後の津波火災で町沿岸部が壊滅的な被害を受けた。

「生きてると、なんて苦しい目に遭うんだろうって思うことが何度かありますね。それでも、こうして仕事をしていればお客さんにも会えるし、ボケずにいられますから。店をやっていて良かったなと思うんです」

 帰り際、改めて店内を見渡すと、壁やテーブルはほこりもなくきれいに磨かれているが、それでも薄っすらと乗った煙草のヤニと油が何層にも重なり、空間を茶色っぽく見せていた。それはまるで昭和・平成という時代と、その時代を生きた店主や客たちの日常が沁みついた色のように思えた。

 店の外まで見送ってくれた店主の顔は、深いお辞儀で見えなくなった。その日のチャーハンは、他で食べたどのチャーハンよりも味わい深く記憶に残っている。

(文・写真=藤原亮司/ジャーナリスト)

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